承継
軌跡

(幼年期)

清張は自身の過去についてはあまり話さなかったともいわれ[34]、出生から作家として世に出るまでの記述は主として『半生の記』を基に作成されている[35]

1910年、下関市壇ノ浦に転居。家の裏は渦潮巻く海で、家の半分は石垣からはみ出し、海に打った杭の上に載っていた。両親は、ここで通行人相手の屋を始める。だが3年後に、線路建設のためダイナマイト火の山麓を崩していた際に起こった地滑りのため家が押し潰され、同市田中町に移った。父はあらゆる下層の職業を転々としたが、学問については憧憬を持ち、夜手枕で清張に本を読ませて聞かせた。両親には一人っ子のため溺愛された。清張7歳の時に父は借金取りに追われて姿をくらます。残された母と清張は知人の家に世話になる生活を経験している。11歳まで下関にて育つ。1916年、下関市立菁莪尋常小学校に入学。