承継
軌跡

(生い立ち)

仙台藩水沢城下に、仙台藩一門留守家の家臣・後藤実崇と利恵の長男として生まれる[2]江戸時代後期の蘭学者高野長英は本家筋の後藤家の出身で遠縁に当たる。今日では高野長英と後藤新平と斎藤実を指して「水沢の三偉人」と称するが、新平が幼少期を過ごした江戸時代末期には、高野長英とのつながりから「謀反人の子」として、新平はいじめられる幼少期を送った[3]

新平の家系の詳細については後藤新平家の項目を参照のこと。

1867年、11歳で留守邦寧の奥小姓となる[4]

廃藩置県後、胆沢県大参事であった安場保和に認められ、後の海軍大将斎藤実とともに13歳で書生として引き立てられ、県庁に勤務した。15歳で上京し、東京太政官少史・荘村省三の下で門番兼雑用役になる。安場が岩倉使節団に随行後に福島県令となり、その縁で16歳で福島洋学校に入った。