この想いでサイトは、私たちの愛する人 早川徳次さんを記念して作成されました。
※この追悼サイトで故人への弔意・思い出を自由に投稿することができます。
本名:早川徳次(はやかわ とくじ)
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本名:早川徳次(はやかわ とくじ)
関連リンク
- シャープのホームページより:https://corporate.jp.sharp/info/history/voice/
- 詳細紹介:http://www.tokusen.sharp.co.jp/70th/tokusen.histor...
- 近代日本人の肖像より:https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6398/
- WIKI:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E5%B7%9D%E5%BE%B3%E6%AC%A1_(%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%97)
- 電機メーカー・シャープを創業し、日本有数の総合電機メーカーへと成長させた実業家。早川式繰出鉛筆(シャープペンシル)を発明したことでも知られる。日本でいち早くラジオ、テレビの試作に成功して業績を伸ばし、その後も太陽電池、卓上計算機などに進出して会社を発展させた。
- 「地下鉄の父」と慕われる。 日本初の地下鉄を生み出した。※東京地下鉄道(後、帝都高速度交通営団→東京地下鉄)の創立者で、日本に地下鉄を紹介・導入したことから、「(日本の)地下鉄の父」と呼ばれる。
- 福祉活動にも力を注ぎ、障がい児のめの保育所や福祉施設、障害者が多く働く工場を設立した。1954年(昭和29年)2月、共働きや身体障害者家庭の子供を預るために[6]、本社近くの阿倍野区西田辺町に「育徳園保育所」(社会福祉法人育徳園)を開設。1976年(昭和51年)4月に阿倍野区阪南町へ新築移転し、1983年(昭和58年)4月には、隣接地に徳次の遺産で「育徳コミュニティセンター」が建設されている。1962年(昭和37年)9月、徳次の寄付金をもとに、東住吉区南田辺に大阪市立早川福祉会館が設立された[8]。また、1969年(昭和44年)11月、徳次が建設資金(3000万円)を寄贈して、阿倍野区桃ケ池町に大阪市立阿倍野青年センター(現・桃ヶ池公園市民活動センター)が設立された。
- 人に真似される商品をつくれ
- やはり「お客様にとって一番重要なものは何か」を真剣に考えることに尽きると思います。 お客様のクレームは何かしっかりと見極める。それを解決するために私たは時間とお金を惜しみなく使う。お客様が得をするために私たちが損をするしかないのです。
- 組織に嫌われるのが嫌なようでは大したことは出来ません。
- 商売をするときは、金を儲けようなどと考えずに、ひたすら商道の本意を勤めなさい
- よく商人の本意を守って努力すれば財を求めなくても集まり、豊かになることは計り知れない。
- 仕事を選ぶときに、ややこしく考えてしまうと理屈が先行しちゃう。 だから、できるだけシンプルに考えて選択していますね。 自分が本当に望んでいるのかどうかその気持ちに添っていくべきだと思っています。
- ※このサイトは、早川徳次に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています 作成者拝
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障がい者福祉
幼少期に出会った、目の不自由なおばあさん
仕事ができる環境を与えてもらった、これが後の人生を拓いた
その恩を返したいという想いを生涯抱き続けた
「何かを施す慈善より、障がい者自身で仕事をし、自助自立できる環境を作ることが福祉につながる」
その早川徳次の熱い想いに、不遇の戦盲者たちはひとすじの希望の光を見いだした。
そして死に物狂いで仕事に打ち込み、その誠意と情熱で自ら自立する道を切り拓いていった。早川徳次とこの失明者たちの熱意と努力は、障がい者のための事業と雇用を創造し、世の中に貢献した。
仕事ができる環境を与えてもらった、これが後の人生を拓いた
その恩を返したいという想いを生涯抱き続けた
「この時の井上さんに引かれた温かかった手のぬくもりは、今なおこの私の手の中に残っている。私の生涯の門出は、盲目の井上さんによってひらかれたのであった。」=== 早川徳次著「私の考え方」より ===
シャープ創業者 早川徳次が幼少期の体験で得た「働けること」への喜びは「報恩感謝」の心となり、障がい者福祉への強い信念となった。「何かを施す慈善より、障がい者自身で仕事をし、自助自立できる環境を作ることが福祉につながる」
その早川徳次の熱い想いに、不遇の戦盲者たちはひとすじの希望の光を見いだした。
そして死に物狂いで仕事に打ち込み、その誠意と情熱で自ら自立する道を切り拓いていった。早川徳次とこの失明者たちの熱意と努力は、障がい者のための事業と雇用を創造し、世の中に貢献した。