(生い立ち)
1878年(明治11年)9月22日、京都府北桑田郡山国村(京北町を経て現・京都市右京区)に生まれる。父は漢方医で幕末の勤王派農兵隊・山国隊の西軍沙汰人(部隊副官)であった藤野齋[注釈 1]、母は娘義太夫師の竹本弥奈吉(牧野彌奈)である。兄と妹が一人ずついる[注釈 2]。
省三は非嫡出子であったため、彌奈の子として育てられた。彌奈の実家は禁裡御用を務める左官屋で、御所の前に家を構えていた[5]。当時、彌奈は大野屋[注釈 3]という寄席と上七軒で置屋を経営しており、西陣の旦那衆に義太夫を教えていた[6][7]。その母の影響で省三は幼少時から芸事に親しみ、近所の子供たちと芝居ごっこに熱中していた[8]。彌奈の姉弟子である竹本綱尾[注釈 4]から義太夫を習い、中村廷笑[注釈 5]から芝居道の故実を学んだ[9]。
省三は非嫡出子であったため、彌奈の子として育てられた。彌奈の実家は禁裡御用を務める左官屋で、御所の前に家を構えていた[5]。当時、彌奈は大野屋[注釈 3]という寄席と上七軒で置屋を経営しており、西陣の旦那衆に義太夫を教えていた[6][7]。その母の影響で省三は幼少時から芸事に親しみ、近所の子供たちと芝居ごっこに熱中していた[8]。彌奈の姉弟子である竹本綱尾[注釈 4]から義太夫を習い、中村廷笑[注釈 5]から芝居道の故実を学んだ[9]。