この追悼サイトは、 吉田 正(歌謡作曲家・国民栄誉賞受賞)さまのために作成されました。
享年77歳 、誕生日 1921年1月20日、命日 1998年6月10日
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吉田 正(よしだ ただし、1921年(大正10年)1月20日 - 1998年(平成10年)6月10日)は、茨城県日立市出身の国民歌謡作曲家。死後の1998年7月に国民栄誉賞受賞。位階は従四位。
生涯作曲数は2400曲を超える。都会的で哀愁漂うメロディーは都会調歌謡と称され、ムード歌謡から青春歌謡、リズム歌謡まで幅広く手掛けた。吉田が描いた曲風は吉田メロディー(吉メロ)と称される。また、鶴田浩二、三浦洸一、フランク永井、松尾和子、橋幸夫、和田弘とマヒナスターズなど多くの歌手を育て上げた、第二次世界大戦後の日本歌謡史を代表する作曲家の一人である。
略歴[編集]平凡出版『週刊平凡』第4巻第25号(1962)より
吉田正音楽記念館 茨城県日立市宮田町5-2-25
記念館ショップ
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享年77歳 、誕生日 1921年1月20日、命日 1998年6月10日
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吉田 正(よしだ ただし、1921年(大正10年)1月20日 - 1998年(平成10年)6月10日)は、茨城県日立市出身の国民歌謡作曲家。死後の1998年7月に国民栄誉賞受賞。位階は従四位。
生涯作曲数は2400曲を超える。都会的で哀愁漂うメロディーは都会調歌謡と称され、ムード歌謡から青春歌謡、リズム歌謡まで幅広く手掛けた。吉田が描いた曲風は吉田メロディー(吉メロ)と称される。また、鶴田浩二、三浦洸一、フランク永井、松尾和子、橋幸夫、和田弘とマヒナスターズなど多くの歌手を育て上げた、第二次世界大戦後の日本歌謡史を代表する作曲家の一人である。
略歴[編集]平凡出版『週刊平凡』第4巻第25号(1962)より
- 1921年(大正10年)1月20日、茨城県多賀郡高鈴村(現在の日立市)に生まれる。
- 1939年(昭和14年)3月、日立工業専修学校卒業。
- 1939年(昭和14年)4月、増成動力工業株式会社に入社。
- 1942年(昭和17年)1月、満州国黒河省漱江に展開していた陸軍水戸歩兵第二連隊に入隊。
- 1944年(昭和19年)急性盲腸炎のためペリリューの戦いに参戦せず満州に残る。
- 1945年(昭和20年)10月、敗戦と同時に、ソビエト連邦シベリア地区に抑留される(シベリア抑留)。従軍中に作曲した『大興安嶺突破演習の歌』に、抑留兵の一人が『昨日も今日も』という詩を付け、よみ人しらずで抑留地に広まり歌われる(後の『異国の丘』)。
- 1948年(昭和23年)8月、NHKラジオの素人のど自慢でシベリア復員兵の中村耕造が、よみ人しらず「俘虜の歌える」と題して歌い話題となる。
- 1948年(昭和23年)8月、ラジオ放送直後、舞鶴港に復員。半月の静養の後、話題も知らず入隊前の会社に復帰。
- 1948年(昭和23年)9月、佐伯孝夫が補作詞し、『異国の丘』としてビクターレコードより発売。
- 1949年(昭和24年)4月、日本ビクターに専属作曲家として入社。
- 1960年(昭和35年)12月、『誰よりも君を愛す』で第2回日本レコード大賞を受賞。
- 1962年(昭和37年)12月、『いつでも夢を』で第4回日本レコード大賞を受賞。同賞では後にその功績をたたえ『吉田正賞』を制定した。
- 1968年(昭和43年)12月、第10回日本レコード大賞特別賞受賞。
- 1969年(昭和44年)4月、芸術選奨文部大臣賞を受賞。
- 1982年(昭和57年)11月、紫綬褒章を受章。
- 1989年(平成元年)日本音楽著作権協会会長に就任。
- 1990年(平成2年)12月、第32回日本レコード大賞功労賞受賞。
- 1992年(平成4年)4月、勲三等旭日中綬章を受章。
- 1993年(平成5年)3月、日本放送協会放送文化賞受賞。
- 1993年、日本作曲家協会会長に就任。
- 1997年(平成9年)日本作曲家協会名誉会長に就任。
- 1998年(平成10年)6月10日、肺炎のため死去。77歳没。同日付で従四位叙位。作曲家としては古賀政男(1978年)、服部良一(1993年)に次いで史上3人目となる国民栄誉賞を受賞。日立市名誉市民として顕彰された。墓所は日立市十王町の法鷲院。
- 2004年(平成16年)生誕の地である茨城県日立市のかみね公園に『吉田正音楽記念館』開設。
- 2005年(平成17年)日立市内の常磐線の駅(大甕駅-十王駅)の発車メロディに吉田作曲のメロディーが採用される。
- 異国の丘(1948年/竹山逸郎・中村耕造)
- 東京の星空(1951年/吉岡妙子)
- 雨の夜のスーベニール(1951年/吉岡妙子)
- 落葉しぐれ(1953年/三浦洸一)
- 街のサンドイッチマン(1953年/鶴田浩二)
- 花の三度笠(1953年/小畑実)
- 赤と黒のブルース(1955年/鶴田浩二)
- おばこマドロス(1955年/野村雪子)
- 東京の人(1956年/三浦洸一)
- 好きだった(1956年/鶴田浩二、1959年/和田弘とマヒナスターズ - ハワイアン風に後年カバー)
- 哀愁の街に霧が降る(1956年/山田真二)
- 有楽町で逢いましょう(1957年/フランク永井)
- 夜霧の第二国道(1957年/フランク永井)
- 東京午前三時(1957年/フランク永井)
- 夢みる乙女(1957年/藤本二三代)
- 泣かないで(1958年/和田弘とマヒナスターズ) - マヒナのオリジナル曲第1弾である。
- 好きな人(1958年/藤本二三代)
- 男のいる街 (1958年/豊田泰光)
- グッド・ナイト(1959年/松尾和子&和田弘とマヒナスターズ)- 松尾和子のデビュー曲。
- 東京ナイト・クラブ(1959年/松尾和子&フランク永井) - 松尾和子のデビュー曲。
- 誰よりも君を愛す(1959年/松尾和子&和田弘とマヒナスターズ) ○第2回日本レコード大賞
- 僕の東京地図(1959年/曽根史朗)
- 潮来笠(1960年/橋幸夫) - 橋幸夫のデビュー曲。○第2回日本レコード大賞(新人賞)
- 再会(1960年/松尾和子)
- おけさ唄えば(1960年/橋幸夫)
- 喧嘩富士(1960年/橋幸夫)
- 夜がわるい(1960年/松尾和子)
- 花の大理石(マーブル)通り(1960年/藤本二三代)
- 木曽ぶし三度笠((1960年/橋幸夫)
- 磯ぶし源太(1961年/橋幸夫) ○第3回日本レコード大賞(作詞賞受賞曲)
- 南海の美少年(天草四郎の唄)(1961年/橋幸夫)
- 沓掛時次郎(1961年/橋幸夫)
- 江梨子(1962年/橋幸夫)
- 悲恋の若武者(1962年/橋幸夫)
- 慕情のワルツ(1962年/橋幸夫)
- 寒い朝(1962年/吉永小百合)
- 若いやつ(1962年/橋幸夫)
- あした逢う人(1962年/橋幸夫)
- いつでも夢を[1](1962年/橋幸夫&吉永小百合) ○第4回日本レコード大賞
- 花の折鶴笠(1962年/橋幸夫)
- 中山七里(1962年/橋幸夫)
- 伊豆の踊子(1963年/吉永小百合)
- 美しい十代(1963年/三田明)
- 二人の星をさがそうよ(1963年/田辺靖雄)
- 後追い三味線(1963年/榎本美佐江)
- 若い東京の屋根の下(1963年/橋幸夫&吉永小百合)
- 光る海(1963年/吉永小百合)
- 嫁ぐ日まで(1963年/吉永小百合)
- 舞妓はん(1963年/橋幸夫)
- 白い制服(1963年/橋幸夫)
- 通天閣の灯(1963年/橋幸夫)
- 若い歌声(1963年/橋幸夫&吉永小百合)
- 雨の中に消えて(1963年/吉永小百合)
- お嬢吉三(1963年/橋幸夫)
- 赤いブラウス(1964年/橋幸夫)
- そこは青い空だった(1964年/橋幸夫&吉永小百合)
- 青いセーター(1964年/橋幸夫)
- 霧の中の少女(1964年/久保浩)
- 恋をするなら(1964年/橋幸夫) ○第7回日本レコード大賞(企画賞受賞曲)
- ごめんねチコちゃん(1964年/三田明)
- ゼッケンNO.1スタートだ(1964年/橋幸夫) ○第7回日本レコード大賞(企画賞受賞曲)
- 若い二人の心斎橋(1964年/三田明&吉永小百合)
- チェッ・チェッ・チェッ -涙にさよならを-(1964年/橋幸夫) ○第7回日本レコード大賞(企画賞受賞曲)
- あの娘と僕〜スイム・スイム・スイム(1965年/橋幸夫) ○第7回日本レコード大賞(企画賞受賞曲)
- キューポラのある街(1965年/吉永小百合)
- 若い翼(1965年/三田明)
- 明日は咲こう花咲こう(1965年/三田明&吉永小百合)
- われらのちから(1966年/立川澄人)
- おまえに(1966年/フランク永井)
- 恋人ジュリー(1966年/三田明)
- 夢みる港(1966年/橋幸夫&吉永小百合)
- 勇気あるもの(1966年/吉永小百合&トニーズ)
- 恋と涙の太陽(アメリアッチ)(1966年/橋幸夫)
- 海に泣いている (1966年/トニーズ)
- シンガポールの夜は更けて(1966年/橋幸夫)
- 殺陣師一代(1967年/橋幸夫)
- 愛の世界 (1967年/吉永小百合&トニーズ)
- 恋人たち (1967年/吉永小百合&トニーズ)
- 娘たちはいま(1967年/吉永小百合)
- 恋のメキシカン・ロック(1967年/橋幸夫)
- 佐久の鯉太郎(1967年/橋幸夫)
- 花太郎笠(1968年/橋幸夫)
- 和歌山ブルース(1968年/古都清乃)
- 加茂川ブルース(1968年/フランク永井)
- 夜明けの二人(1968年/橋幸夫)
- 赤い夕陽の三度笠(1968年/橋幸夫)
- 乙女川(1968年/橋幸夫)
- 鯉名の銀平(1969年/橋幸夫)
- 傷だらけの人生(1970年/鶴田浩二) ○第13回日本レコード大賞(大衆賞)
- 子連れ狼(1971年/橋幸夫) ○第14回日本レコード大賞(大衆賞)
- 未練の女(1971年/日吉ミミ)
- 京ごよみ -沖田総司-(1974年/橋幸夫) ○第16回日本レコード大賞(中山晋平・西条八十賞)
- 花の喧嘩旅(1975年/橋幸夫)
- 股旅グラフィティ さらば渡り鳥(1977年/橋幸夫)
- 法師の宿(1980年/橋幸夫)
- 人/花蕾(1988年/美空ひばり)
- 古葉,大洋よ覇者となれ(1989年/大石吾朗)
- 春来川慕情(1990年/松尾和子)
- サンタマリア(1991年/武井つかさ)
- 面影渡り鳥(1996年/橋幸夫) 最後のビクターヒット賞受賞曲[2]
吉田正音楽記念館 茨城県日立市宮田町5-2-25
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※注:このサイトは、吉田正に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています 作成者拝