承継
この追悼サイトは、 髙木 純一さまのために作成されました。

享年65歳
誕生日 1958年10月23日
命日     2023年12月8日

※ 髙木さんへのメッセージ投稿や、思いでの共有はサインインで可能になります。
このメッセージは、 2023年12月19日に、坂本清美さんが投稿
2023年12月8日(金)午前11時3分髙木純一は膵臓癌でこの世を去りました。

この年の春先に膵臓癌が発見されましたがその時にはすでにステージ4、残念ながら抗癌剤治療の効果はありませんでした。それでも本人は最後の最後のその瞬間まで、「絶対治す」と強い意志のもと闘病してきましたので、癌のことは皆様にお伝えしておらず、また短時間で急激に体調が崩れたこともあり、突然のお知らせとなりました。

自宅で最後を過ごす中で兄は、痛みなどの泣き言は一切言わず、死ぬギリギリまで自力でトイレに行き、家族に醜態を晒すことなく、見事にその人生を終えていきました。
あれほど苦しい癌と戦いながら、人としての尊厳を守り抜いた、立派な、強い男でした。

ここに兄の追悼サイトを設け皆様に兄の知ってる姿や知らない一面をみていただき兄を偲んでいただければと思います。
              妹 坂本清美

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2023年12月19日に、坂本清美さんが投稿
2023年12月8日(金)午前11時3分髙木純一は膵臓癌でこの世を去りました。

この年の春先に膵臓癌が発見されましたがその時にはすでにステージ4、残念ながら抗癌剤治療の効果はありませんでした。それでも本人は最後の最後のその瞬間まで、「絶対治す」と強い意志のもと闘病してきましたので、癌のことは皆様にお伝えしておらず、また短時間で急激に体調が崩れたこともあり、突然のお知らせとなりました。

自宅で最後を過ごす中で兄は、痛みなどの泣き言は一切言わず、死ぬギリギリまで自力でトイレに行き、家族に醜態を晒すことなく、見事にその人生を終えていきました。
あれほど苦しい癌と戦いながら、人としての尊厳を守り抜いた、立派な、強い男でした。

ここに兄の追悼サイトを設け皆様に兄の知ってる姿や知らない一面をみていただき兄を偲んでいただければと思います。
              妹 坂本清美
軌跡

66回目のお誕生日

2024年10月23日(水) 純一、66回目のお誕生日です。
毎年バースデーケーキを買って家族でお祝いしていました。パリで有名なブティックの物ではなく、昔からずっと変わらず不二家のイチゴのショートケーキ。ロウソクもちゃんと部屋の電気を消してから吹き消していました。

甥の知優が小さな時はローソクを吹き消すのはお誕生日の本人ではなく、知優の役目。家族全員がその夜はきちんと集まってロウソクを吹き消すイベントを行いました。

父がいなくなり、母がいなくなり、徐々に少人数になりながらも毎年お誕生日を祝いました。
しかし、今年はケーキの予約をしませんでした。いつも予約する不二家の店の前を通り過ぎた時、何とも言えない寂しさが私の背中にのしかかってきました。

今ごろ、天国で両親と家族3人水入らずでお誕生日のお祝いをしているでしょうか?
長男としていつも妹達の為にいろいろ我慢してきたから今は両親のもとで甘えているかもしれません。
お誕生日おめでとう!

新盆

新盆を迎えました。
両親と一緒に3人で家に帰って来ているはずです。
急に彼の地へ旅立ったので、もしかしたら自分の部屋を整理して片付けたり、居間でのんびりテレビを見ているかもしれません。

去年のお盆の時期は、夜、玄関のインターホンが鳴ったのに誰もおらず、撮影された玄関の画像には何故か不思議な青い光が写っていました。それを見て、「両親が帰って来た!」と純一は騒いでいました。
今年はインターホンは鳴るのでしょうか?
楽しみです。

納骨 100箇日法要

2024年3月16日(土)今日は純一が亡くなってちょうど100箇日の法要の日でした。
そして春になったので、区切りの今日、納骨しました。
家族はもちろんのこと、純一の大学時代からの大親友、森さんも立ち会ってくださいました。
兄の喜ぶ顔が目に浮かびました。

お天気に恵まれて、秩父の山々を臨む素晴らしい景色のもと無事に納骨しました。
兄には両親のもとでゆっくりしてくれるといいなぁと願っています。

もしお近くにお越しの際はぜひお墓にお立ち寄りください。

秩父聖地公園墓所
芝8区 8列 4号
所在地
〒368-0004
埼玉県秩父市山田990番地
電話番号 0494-22-3469

報告

パリ五輪

坂本清美さんが2024年7月28日に投稿
2024年7月27日午前2時(日本時間)パリ五輪の開会式が行われました。
パリ市内を流れるセーヌ川を使った入場行進は斬新でオシャレで、さすがフランス。
テレビ画面から見るパリ市内、有名な観光名所も所々で映ります。橋の欄干から青白赤のトリコリールの煙が立ち上り三色旗を表現したタイミングはワクワク度がマックス。
兄がいたら、「あれはxx橋、あれはxx寺院、あっちはxxの丘!」なんて解説してくれたはずです。

去年の今頃、私はフランス・パリが大好きな兄に「パパ五輪は見に行かないの?」と聞いたら、「テレビでいいよ。オリンピックが終わったら街が落ち着くから、そしたら知優を連れて大学卒業祝いのパリ旅行をする。家族みんなで一緒に行こう!それまでは絶対死なない。」
そんな会話を何気なくしました。

あの頃は本人も私達も、兄は癌治療をしながらも何年もずっと生き続けると信じて疑っていませんでした。

父親が60歳から3つの癌に順にかかりその都度治療をして85歳まで生きたことで、兄も同じようにゆるりゆるりと行き続けると思いこんでいました。そのせいか半年で逝ってしまうとは全く覚悟していなかったのです。

今回のパリ五輪は前回の東京五輪とは違いコロナ禍の影響も無く選手も応援者もみんな生き生きとしています。
知優を連れてのパリ卒業旅行はタイミングをみて実行したいと思っています。

最後に見た桜

GhaniHideko-Aishahさんが2024年4月7日に投稿
兄のすい臓がんステージⅣと診断をされたのが2023年3月
ちょうど1年前のこと

そのときから
兄が1日でも長く生きられるようにと妹二人は協力をして
怒らない、喧嘩をしない、仲良く、楽しく
兄を支えていこうと約束をした

そして兄が旅行に行くときは出来る限り私が一緒に行くことに決めた
何もないだろうが、何かあったときのために

その時から12月に亡くなるまでの約8か月
兄との濃い思い出がたくさん

本当は楽しい思い出なのに
兄が亡くなった今では
1年前の今頃は。。。と、その思い出をなぞり
何とも胸がつぶされそうな思いになります

2023年4月 広島
東京では桜は散り始めていたけれど
宮島・厳島神社までフェリーに乗りながら見た
川沿いの土手の桜はちょうど満開
これがおそらく兄がみた最後の桜

生ガキを食べたいと宮島の端から端までお店をまわり
最後の1軒でみつけた時の兄の喜びよう
4月だからもう生ガキなんてないよ~とあきらめの早い私と違って
最後まであきらめない兄
おいしそうに生ガキをほおばる姿は今も目に浮かびます

夕食のお好み焼き屋では2人で1枚のお好み焼きをシェアして食べ
あれ?いつもより食欲がないな~とは思ったものの、
これから始まる抗がん剤治療をがんばって、早く治さなくちゃと
ガンになったことを嘆き悔やむより
むしろ治療で早く治して元気になる!と前向きな強い兄でもありました

宮島からの帰り際に「写真撮ってあげるよ」と
私の写真をとってくれたこと
なんでもない写真ですが、兄がとってくれた写真と思うと
とても大切な1枚になりました

また来ようね
今度は宮島に泊まって潮の満ち引きみようか
なんて言っていたのになぁ


宝塚大劇場

GhaniHideko-Aishahさんが2024年4月4日に投稿
兄がいなくなってから、自分で初めて宝塚の公演抽選申し込み

当たればラッキー、はずれて当然で軽いつもりでしたが
なんと前から2列の超VIP席が当選

ビギナーズラックなのか、兄の願いはまだそこにあるのか
こんなにいい席でみられるとは!
ということで宝塚大劇場まで観劇に行ってきました

JALの機内では隣の席にいつもいた兄がいないことが居心地が悪く
大劇場がちかずくに連れ、兄が入り口にたっていて
手を振って待っていてくれるような、不思議な感覚に襲われました

宝塚大劇場建物の入り口を見た時には
胸にこみ上げるものがあり、思わずうるうるとしてしまいました

そして、大劇場内には素敵な軽食が食べられるお店で兄の行きつけの店、
「カフェブライト」があります

生前大変親しくしていただいた女主人の粋なはからいで
いつも兄が座っていた席に案内されましたが
そこにはなんとお花と兄がいつも注文したミニサンドとアイスコーヒーが
置かれていました

お花のピンクのスイトピーは兄のシンボルマークともいえる
ピンクのシャツにちなんでを選んで飾ってくれたそうです

お店の女主人は宝塚から遠路はるばる東京・池袋のお別れ会にまで
来てくださいましたが、翌日の葬儀にはさすがに参列できないと
携帯で撮った兄の遺影をお店に飾り、出棺の時間にあわせて
お店のスタッフの皆様とお別れを告げてくれたと教えてくれました

「お兄さまは本当に優しく、人としてもとても素晴らしい方です!!」
そんなメッセージもくださり、
スタッフの方々も兄を偲んでいろいろと思い出を話してくれ
兄の人柄を感じさせる時間でもありました

宝塚の華やかなステージ
もし兄がこの席でみていたらと思うと
もう見られないんだよね
どうしてこんなに早く逝ってしまったんだと
涙がポロポロ止まりませんでした