承継
軌跡

新盆

新盆を迎えました。
両親と一緒に3人で家に帰って来ているはずです。
急に彼の地へ旅立ったので、もしかしたら自分の部屋を整理して片付けたり、居間でのんびりテレビを見ているかもしれません。

去年のお盆の時期は、夜、玄関のインターホンが鳴ったのに誰もおらず、撮影された玄関の画像には何故か不思議な青い光が写っていました。それを見て、「両親が帰って来た!」と純一は騒いでいました。
今年はインターホンは鳴るのでしょうか?
楽しみです。

納骨 100箇日法要

2024年3月16日(土)今日は純一が亡くなってちょうど100箇日の法要の日でした。
そして春になったので、区切りの今日、納骨しました。
家族はもちろんのこと、純一の大学時代からの大親友、森さんも立ち会ってくださいました。
兄の喜ぶ顔が目に浮かびました。

お天気に恵まれて、秩父の山々を臨む素晴らしい景色のもと無事に納骨しました。
兄には両親のもとでゆっくりしてくれるといいなぁと願っています。

もしお近くにお越しの際はぜひお墓にお立ち寄りください。

秩父聖地公園墓所
芝8区 8列 4号
所在地
〒368-0004
埼玉県秩父市山田990番地
電話番号 0494-22-3469

最後のディズニーランド

プーさんのハニーハントは甥の知優が車椅子でも乗れるアトラクションを探してプライオリティパスをアレンジした。


最後のディズニーランド

甥の知優が卒論で忙しくなる前にどうしても一緒にディズニーランドに行きたいと必死に行った。まさに必死。この5日後に旅立つとは誰も思っていなかった。

リタイア時代

2年前の兄妹旅行に続きパート2。
奇しくも母の命日11月11日、京都「くいしんぼ」にて。
宝塚観劇の後、美味しい食事をして大満足。

リタイア時代

抗癌剤治療で髪の毛が抜けて年齢より老けて見えるようになってしまったが、足取りはしっかり。元気いっぱい。
行きつけの京都の小料理屋で。
ロシア人観光客の方が撮影。この兄の姿に天使を見たらしい。スピリチュアルな力を持っているその人には兄が天へと逝く時期が見えていたそう。

リタイア時代

人生の中盤以降は宝塚に魅せられ、家が一軒建つくらいのどハマり。
美しい物を見て、美味しい物を食べるのが生きがいだった。
ちょっとお茶目な珍しい写真を。


リタイア時代

台湾人留学生の蔡さんが念願の日本での就職を祝って、行きつけの料理屋さんでお食事会。

リタイア時代

行きつけの料理屋「鰍嘉」
春はたけのこ冬は生牡蠣
美味しい物を食べるのが大好きだった。


リタイア時代

思い返せばこれが共に過ごした最後の大晦日。
まさか翌年の大晦日にはいないなんて。

リタイア時代

甥の知優を連れて何度行っただろう。
焼肉トラジ。


社会人時代

兄妹3人で旅行をしようとなり沖縄へ。
大好きな宝塚の沖縄地方公演を一緒に観劇。
この丁度2年後が命日になるとはこの時誰も想像していなかった。

社会人時代

母親の納骨で秩父へ。コロナ禍で秀子の帰国を待ってからの納骨だった。

社会人時代

晩年は母と二人暮らし。その母が入院中のため一人で迎えるお誕生日を寂しくさせないようにと妹清美家族がフレンチレストランへ御招待。


社会人時代

母純子が退院してお誕生月のためお祝いの食事会。これが母と最後の食事会となった。

社会人時代

甥が高校野球最後の年に球場まで駆けつけて試合を応援。当時はコロナ禍で甲子園が中止になる前代未聞の事態となった。

社会人時代

高校生になった甥に美味しいものをたらふく食べさせるのが生きがい。

社会人時代

甥の知優の誕生日やお祝いなどイベントの度に焼肉トラジへ行って食事。

社会人時代

妹清美の長男、甥の知優(トモヒロ)を孫のように可愛がっていた。大阪の赤い観覧車に乗りたいと知優にせがまれて苦笑いしながらも喜んでいた。


社会人時代

赤いシャツはお気に入りだった

社会人時代

若い人達と一緒に生き生きと働く。

社会人時代

ドレスナーバンク、ドレスナー証券を経てホテルマンとなる。

社会人時代

1番下の妹清美の家族が台湾駐在している時は台湾に何度も訪れていた。

社会人時代

母純子の提案で、家族5人で記念写真を撮った。

社会人時代

妹清美の結婚式に高知へ。

社会人時代

誕生月10月は必ずと言っていいほど毎年海外で過ごしていた。


社会人時代

すぐ下の妹秀子がマレーシアに嫁ぎ、両親を連れて度々遊びに行った。

社会人時代

パリ、香港、ハワイは何度も足を運びショッピング。

社会人時代

お料理教室の河田先生は自分の息子さんよりも兄純一を可愛がってくださった。

社会人時代

友人のお母様がお料理教室の先生。
そのお教室の海外研修に同行して美味しい物に舌鼓を打つ。

社会人時代

サラリーがとても良かったので、両親や妹達を海外旅行に連れて行った。

社会人時代

外資系企業だったので休暇が長期間取得でき、様々な国へ海外旅行。若い頃は10月の誕生日の頃、パリへ毎年のように一人旅。

社会人時代

ドレスナーバンク時代は得意の英語を使って。

社会人時代

大学を卒業後ドイツ系の銀行、ドレスナーバンクに入行。

学生時代

弁論部の先輩後輩みんなと交流。

学生時代

弁論部の夏合宿。

学生時代

弁論部の30代同期でお揃いのトレーナーを作成。
テーマカラーはピンクのため、ピンク色のトレーナーを着て集合写真を撮った。

学生時代

イケメンでスリムな体型だった。
中学生時代は「真和のアランドロン」と呼ばれていた。「真和」は中学校の名称。

学生時代

早稲田大学では英語の弁論部に入り活躍。

学生時代

アルバイトと勉強を両立させながら大学に通う。

幼少期

小学生までは白黒写真。
中学生高校生の頃は写真嫌いのためアルバムが無い。

幼少期

母親の実家がある新潟県村上市にはよく帰省していた。

幼少期

スキーは近所の人達と家族ぐるみで一緒に毎年のように遊びに行っていた。

幼少期

幼稚園は亀有のすみれ幼稚園。
父親が独立してとんかつ屋をはじめるために引越し。
小学校は豊島区の富士見台小学校に転校。
友達と別れるのが辛くて電車で亀有の小学校に通うと親に駄々をこねた。

幼少期

父親の仕事の関係で亀有に住んでいた時期があった

幼少期

父親は釣りとスキーが趣味でよく一緒に連れて行ってもらった

幼少期

当時は父親がサラリーマンだったため休日は親子で出掛ける事が多かった。

幼少期

父親似で目鼻立ちのはっきりした濃い顔をしていたため、小さな頃は銭湯に行くとハーフの子供とよく間違えられた。

幼少期

三越百貨店のお中元ポスターに採用された

乳児期

父 髙木重房(シゲフサ)、母 純子の長男として生まれ、祖母 リイには初孫として非常に可愛がられた。
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