この想いでサイトは、私たちの愛する人 山崎 豊子(女性小説家)さんを記念して作成されました。
※このサイトで故人への弔意・思い出を自由に投稿することができます。
本名:山崎 豊子(やまさき とよこ)
墓地:藤次寺(〒543-0071 大阪府大阪市天王寺区生玉町1−6)、日本
生い立ち [編集]大阪府大阪市南区(現:中央区)船場出身。実家は老舗昆布屋の小倉屋山本。1936年(昭和11年)、旧制大阪市芦池尋常小学校(現:大阪市立南小学校)卒業。1941年(昭和16年)、旧制相愛高等女学校(現:相愛中学校・高等学校)卒業。1944年(昭和19年)、旧制京都女子専門学校(現:京都女子大学)国文学科卒業。
作家デビュー [編集]毎日新聞社に入社した。大阪本社調査部を経て1945年(昭和20年)学芸部に勤務し[2]、当時の学芸副部長であった井上靖のもとで記者としての訓練を受けた。勤務のかたわら小説を書きはじめ[2]、1957年(昭和32年)に生家の昆布屋をモデルに、親子二代の船場商人を主人公とした『暖簾』を刊行して作家デビュー[2]。出版後すぐに映画・ドラマ化され、人気を博した[3]。翌年吉本興業を創業した吉本せいをモデルに大阪人の知恵と才覚を描いた『花のれん』を上梓。同作により第39回直木賞受賞[2]。新聞社を退職して作家生活に入った[2]。
初期の作品は船場など大阪の風俗に密着した小説が多い。その頂点が足袋問屋の息子の放蕩・成長を通して商魂たくましく生き抜く大阪商人の典型を描いた『ぼんち』であり、市川雷蔵主演により映画化された。1961年(昭和36年)『女の勲章』取材中に元同僚と結婚。1963年(昭和38年)より連載を始めた『白い巨塔』は大学病院の現実を描いた鋭い社会性で話題を呼び、田宮二郎主演で映画化されたほか、数回に亘りテレビドラマ化された。これも大阪大学医学部がモデルとなっており、大阪の風俗が作品への味付けとなっている。神戸銀行(現:三井住友銀行)をモデルとした経済小説、『華麗なる一族』も佐分利信の主演で映画化され、さらに3度に亘りテレビドラマ化された。
その後、テーマ設定を大阪から離し、戦争の非人間性など社会問題一般に広げていった。『不毛地帯』、『二つの祖国』、『大地の子』の戦争3部作の後、日本航空社内の腐敗や日本航空123便墜落事故を扱った、『沈まぬ太陽』を発表した。
1991年(平成3年)、菊池寛賞受賞[2]。1993年(平成5年)大地の子などの印税を基に「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の子供の学資を援助した。21世紀に入ってからは、『文藝春秋』2005年(平成17年)1月号から2009年(平成21年)2月号まで西山事件をモデルとした『運命の人』を連載した。新潮社で『沈まぬ太陽』までの作品を収めた『山崎豊子全集』全23巻が刊行され、2005年(平成17年)に完結。2009年(平成21年)『運命の人』で毎日出版文化賞特別賞受賞[2]。
2016年7月に、墓所は藤次寺(大阪市天王寺区生玉町)である事が公表された。また、没後3年となるこの年から山崎豊子文化財団が命日(9月29日)を「豊子忌」(とよこき)と名付け、ファンへの恩返しのために墓所が同年10月2日まで一般公開された[11]。
受賞歴[編集]
『白い巨塔』(1965年-1969年)
『華麗なる一族』(1973年)
『二つの祖国』(1983年)
『大地の子』(1991年)
『沈まぬ太陽』(1999年)
常に時代を先取りし、社会問題を鋭く抉る超大作を世に問い続けてきた作家・山崎豊子。
映画化、ドラマ化されヒットした話題作品が多い。
兵庫ゆかりの作家の情報はこちらをご覧ください。
※注:このサイトは、山崎豊子に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています 作成者拝
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本名:山崎 豊子(やまさき とよこ)
墓地:藤次寺(〒543-0071 大阪府大阪市天王寺区生玉町1−6)、日本
生い立ち [編集]大阪府大阪市南区(現:中央区)船場出身。実家は老舗昆布屋の小倉屋山本。1936年(昭和11年)、旧制大阪市芦池尋常小学校(現:大阪市立南小学校)卒業。1941年(昭和16年)、旧制相愛高等女学校(現:相愛中学校・高等学校)卒業。1944年(昭和19年)、旧制京都女子専門学校(現:京都女子大学)国文学科卒業。
作家デビュー [編集]毎日新聞社に入社した。大阪本社調査部を経て1945年(昭和20年)学芸部に勤務し[2]、当時の学芸副部長であった井上靖のもとで記者としての訓練を受けた。勤務のかたわら小説を書きはじめ[2]、1957年(昭和32年)に生家の昆布屋をモデルに、親子二代の船場商人を主人公とした『暖簾』を刊行して作家デビュー[2]。出版後すぐに映画・ドラマ化され、人気を博した[3]。翌年吉本興業を創業した吉本せいをモデルに大阪人の知恵と才覚を描いた『花のれん』を上梓。同作により第39回直木賞受賞[2]。新聞社を退職して作家生活に入った[2]。
初期の作品は船場など大阪の風俗に密着した小説が多い。その頂点が足袋問屋の息子の放蕩・成長を通して商魂たくましく生き抜く大阪商人の典型を描いた『ぼんち』であり、市川雷蔵主演により映画化された。1961年(昭和36年)『女の勲章』取材中に元同僚と結婚。1963年(昭和38年)より連載を始めた『白い巨塔』は大学病院の現実を描いた鋭い社会性で話題を呼び、田宮二郎主演で映画化されたほか、数回に亘りテレビドラマ化された。これも大阪大学医学部がモデルとなっており、大阪の風俗が作品への味付けとなっている。神戸銀行(現:三井住友銀行)をモデルとした経済小説、『華麗なる一族』も佐分利信の主演で映画化され、さらに3度に亘りテレビドラマ化された。
その後、テーマ設定を大阪から離し、戦争の非人間性など社会問題一般に広げていった。『不毛地帯』、『二つの祖国』、『大地の子』の戦争3部作の後、日本航空社内の腐敗や日本航空123便墜落事故を扱った、『沈まぬ太陽』を発表した。
1991年(平成3年)、菊池寛賞受賞[2]。1993年(平成5年)大地の子などの印税を基に「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の子供の学資を援助した。21世紀に入ってからは、『文藝春秋』2005年(平成17年)1月号から2009年(平成21年)2月号まで西山事件をモデルとした『運命の人』を連載した。新潮社で『沈まぬ太陽』までの作品を収めた『山崎豊子全集』全23巻が刊行され、2005年(平成17年)に完結。2009年(平成21年)『運命の人』で毎日出版文化賞特別賞受賞[2]。
2016年7月に、墓所は藤次寺(大阪市天王寺区生玉町)である事が公表された。また、没後3年となるこの年から山崎豊子文化財団が命日(9月29日)を「豊子忌」(とよこき)と名付け、ファンへの恩返しのために墓所が同年10月2日まで一般公開された[11]。
受賞歴[編集]
- 1958年 - 『花のれん』にて第39回直木三十五賞
- 1959年 - 『ぼんち』にて大阪府芸術賞
- 1963年 - 「花紋」にて第2回婦人公論読者賞
- 1968年 - 「花宴」にて第6回婦人公論読者賞(後に、盗作問題で賞を返上)
- 1990年 - 『大地の子』にて第52回文藝春秋読者賞
- 1991年 - 第39回菊池寛賞
- 2009年 - 『運命の人』にて第63回毎日出版文化賞特別賞
『白い巨塔』(1965年-1969年)
『華麗なる一族』(1973年)
『二つの祖国』(1983年)
『大地の子』(1991年)
『沈まぬ太陽』(1999年)
常に時代を先取りし、社会問題を鋭く抉る超大作を世に問い続けてきた作家・山崎豊子。
映画化、ドラマ化されヒットした話題作品が多い。
兵庫ゆかりの作家の情報はこちらをご覧ください。
※注:このサイトは、山崎豊子に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています 作成者拝