負債からの復帰
1970年、神奈川県茅ヶ崎市に「パシフィックパークホテル茅ヶ崎」を建設・開業。妻の小桜陽子が2ヵ月間の闘病の末、52歳で他界したのだ。その2ヵ月後、パシフィックパークホテル茅ヶ崎を経営していた日本観光開発(後のパシフィックジャパン株式会社:小桜陽子の弟、岩倉具視が経営)が、23億円の負債を抱えて倒産した。ホテルは18億円で売却されたが、上原と息子の加山雄三には莫大な借金が残り、実は同年、茅ヶ崎の自宅にも6千万円の抵当権が設定されていた。上原は東宝との契約を打ち切られ、加山雄三も倒産と結婚で世間の風当たりが強くなり、人気は落ちたが、その後10年かけて自力で借金を返し、苦労の末に復活した。