(生い立ち)
1941年2月12日、兵庫県城崎郡国府村(現:豊岡市日高町)上郷[注 5]で、父・植村藤治郎と母・梅の7人兄弟の末子として誕生[注 6][10][9]。実家は農業とわら縄製造[11][12][注 7]。
藤治郎の3代前の「植村直助」[14][15]から「直」の字を取り、干支の「巳」と合わせて「直巳」と名付けられたが[16][17]、村役場の戸籍担当職員が戸籍簿に誤って「直已」と記入したことから、戸籍名は「直已」として登録された[18][19]。後に、「巳(へび)や已(すでに)より、己(おのれ)の方が格好良い」として、大学時代から「直己」を名乗るようになった[20][18][21][8][注 8]。
藤治郎の3代前の「植村直助」[14][15]から「直」の字を取り、干支の「巳」と合わせて「直巳」と名付けられたが[16][17]、村役場の戸籍担当職員が戸籍簿に誤って「直已」と記入したことから、戸籍名は「直已」として登録された[18][19]。後に、「巳(へび)や已(すでに)より、己(おのれ)の方が格好良い」として、大学時代から「直己」を名乗るようになった[20][18][21][8][注 8]。