承継
和田裕助、「死神と呼ばれた男」
この男、いつ生まれたのか・・・
それは1966年5月31日、かの「ダイヤモンドの瞳」と呼ばれたブルック・シールズ女優とちょうど1年後。本人とは全く関係ないけど。
先祖代々、葬儀屋の家系に生まれて育った。
小学校2年生のときに英国へ留学。それも子供たちだけで全寮制の寄宿舎へ。
そこで英語を必死に学び、横浜のアメリカン・スクール(すでに廃校)から今度は渡米。
中2を卒業し、アメリカン・スクールへ戻り、特待生で卒業してボストン大学・工学部へ。
この工学部を卒業した日本人は過去50年で10名もおらず、その後、ミノルタカメラに就職し、プリンタとコピー機開発エンジニアとして活躍。

色々とあり、会社を1996年に退職し、実家の葬祭業に従事し、葬儀のしきたりや文化、作法を徹底的に学ぶ。
そこから、再度プリンタ開発会社へ戻り、実家の葬儀社も同時に営む。
そして自ら葬祭業向けのシステムインテグレーション会社を立ち上げた。
日本で唯一の葬儀の文化を研究する学術団体、日本葬送文化学会の役員にも就任し、退会するまでは約20年間、理事及び副会長とし事務局を運営。

日本外国特派員協会にも約20年所属しており、数多くの委員長も務める。
現在もIT委員会の委員長として、記者クラブのITインフラに対して助言をしたり、外部との折衝、会長の補佐を務めている。

「死神と呼ばれた男」という本を出版。
日本外国特派員協会にて公式出版会見をすることになり、英語版も出版することになった。

現在、様々な社会貢献活動及び人助けをしていて死んでいる時間が全くない。
全国を旅している「デジタル・クリエイター」として活動しているが、海外からは日本の葬儀ビジネス専門家、その他、人工知能活用した新たなビジネス、葬儀業界のディスラプター、ブロックチェーン技術を活用したデジタル追悼システム(ここ)の販売、更に量子コンピュータ周りのセキュリティチップや原子力関係の素材販売なども手掛けている。
過去にはフライトシミュレーター開発の顧問、人工知能開発会社の営業顧問なども務めていた。

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