(生い立ち)
1899年(明治32年)6月14日、大阪府大阪市北区此花町1丁目79番屋敷(現・大阪市北区天神橋1丁目16-12)に、医師の父・川端栄吉(当時30歳)と、母・ゲン(当時34歳)の長男として誕生[16][17][18](川端自身は6月11日生れと最晩年まで信じていた[19][20][21])。7か月の早産だった[22][23]。4歳上には姉・芳子がいた[24]。父・栄吉は、東京の医学校済生学舎(現・日本医科大学の前身)を卒業し、天王寺村桃山(現・大阪市天王寺区筆ケ崎町)の桃山避病院などの勤務医を経た後、自宅で開業医をしていたが、肺を病んでおり虚弱であった[16][25]。また、栄吉は浪華の儒家寺西易堂で漢学や書画を学び、「谷堂」と号して漢詩文や文人画をたしなむ多趣味の人でもあった[26]。蔵書には、ドイツ語の小説や近松、西鶴などの本もあった[27][28][29]。