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本名:岩崎 弥太郎(いわさき やたろう)
墓地:岩崎家墓所岩崎家墓所(東京都豊島区)、日本
日本の実業家。三菱財閥(現:三菱グループ)の創設者[2]。
生涯[編集]出生[編集]
岩崎美術館 鹿児島県指宿市十二町3755
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本名:岩崎 弥太郎(いわさき やたろう)
墓地:岩崎家墓所岩崎家墓所(東京都豊島区)、日本
日本の実業家。三菱財閥(現:三菱グループ)の創設者[2]。
生涯[編集]出生[編集]
1835年1月9日、土佐国安芸郡井ノ口村一ノ宮(現在の高知県安芸市井ノ口甲一ノ宮)の地下浪人・岩崎弥次郎と美和の長男として生まれる[3]。岩崎家は甲斐武田家の当主武田信光の五男の一宮信隆(武田七郎)の子の岩崎貞隆(五郎貞経)が、甲斐国山梨東郡(東山梨郡)岩崎(現・山梨県甲州市勝沼町)を本拠に岩崎氏を称し、家紋も武田菱に由来するという伝承がある[3]。岩崎家はその末裔と称した信寛の代に安芸氏、長宗我部氏に仕え、関ヶ原の戦いでの功が認められた山内氏入国後は山野に隠れて農耕に従事し、江戸中期に郷士として山内氏に仕えた[3]。天明の大飢饉で一揆が起きるなど混乱し、弥太郎の曾祖父の代に郷士の資格を売り、地下浪人となった[3]。 伯母が嫁いだ岡本寧浦について学んだ[4]。安政元(1854 )年、江戸詰めとなった奥宮慥斎の従者として江戸へ行き、昌平坂学問所教授安積艮斎の見山塾に入塾する[4]。筆頭塾生は親戚の岩崎馬之助だった[4]。 安政2年(1855年)、父親が酒席での庄屋との喧嘩により投獄された事を知り帰国。奉行所に訴えたが、証人は庄屋の味方をした。「不正を罷り通すがが奉行所かよ」と訴え、壁に墨で「官は賄賂をもってなり、獄は愛憎によって決す」と大書したため投獄された[5]。この時、獄中で同房の商人から算術や商法を学んだことが、後に商業の道に進む機縁となった。
出獄後、村を追放されるも安政5年(1858年)、当時蟄居中であった吉田東洋が開いていた少林塾に入塾し、後藤象二郎らの知遇を得る[5]。東洋が参政となるとこれに仕え、土佐藩の下級藩士の一人として長崎に派遣され、清朝の海外事情を把握するためであった[6]。イギリス人やオランダ人など「異人」と通訳を介して丸山花街で遊蕩し、資金がなくなり、帰国するが無断帰国であったため罷免され、官職を失った[6]。この頃、27歳で弥太郎は借財をして郷士株を買い戻し、長岡郡三和村の郷士・高芝重春(玄馬)の次女喜勢を娶る[6]。
開成館[編集]当時土佐藩は開成館長崎商会を窓口に、貿易商人ウォルシュ兄弟や武器商人グラバー、クニフラー商会とも取引をしている。これら欧米商人から船舶や武器を輸入したり、木材並びに強心剤・防腐剤として使用されていた樟脳、鰹節など藩物産を販売しており、吉田東洋の甥の後藤象二郎が弥太郎に主任を命じた[7]。 慶応2年(1866年)春に起こった土佐藩物産の樟脳の市場価格暴騰により、土佐藩がクニフラー商会との間で契約不履行が生じた際には弥太郎が窓口となったが、この問題の決着は明治維新後まで長期を要した[8]。司馬遼太郎は「竜馬がゆく」でこの時の土佐藩後藤象二郎とクニフラー商会(文中ではキネプル)とのもめごとを取り上げている。 また明治維新後、グラバーは三菱に雇われる事となった[7][ 九十九商会[編集]明治政府が藩営事業を禁止しようとしたため、明治2年(1869年)10月、土佐藩首脳林有造は海運業私商社として土佐開成社[11]、後の九十九(つくも)商会を立ち上げた[12]。代表は海援隊の土居市太郎と、長崎商会の中川亀之助、弥太郎は事業監督を担当した[12]。明治3年(1870年)には土佐藩の少参事に昇格し、大阪藩邸の責任者となり、英語習得を奨励した[12]。私腹を肥やしていると疑われ派遣された内偵の石川七財を勧誘し、商会に入れた[12]。明治4年(1871年)の廃藩置県で彌太郎は土佐藩官職位を失ったため、九十九商会の経営者となった[13]。九十九商会は、藩船3隻払下げを受け貨客運航、鴻池家や銭屋に抵当として抑えられていた藩屋敷(現在の大阪市西区堀江の土佐稲荷神社付近)を買い戻した[13]。岩崎弥太郎は当地に本邸を構え事業を営み、三菱の発祥の地となる。 三菱商会[編集]岩崎弥太郎(1870年代頃) 明治5年、九十九商会は三川(みつかわ)商会となったが、代表は川田小一郎、石川七財、中川亀之助で弥太郎の権限は曖昧不分明である[14]。
岩崎美術館 鹿児島県指宿市十二町3755
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