承継
軌跡

(生い立ち)

安政5年11月20日(1858年12月24日)、相模国津久井郡[注釈 2]又野村(現・神奈川県相模原市緑区又野)生まれ。幼名は彦太郎。

行雄の父・尾崎行正の生家は漢方医を業とし、漢学者藤森弘庵私塾に桂小五郎(木戸孝允)の先輩として学んだ。尾崎家の先祖は今川義元の家来で、武田信玄に攻め立てられて没落した。尾崎家は天正18年(1590年)に後北条氏が滅びてから又野に移り、累世相続いて里長となる

(少年時代)

行雄は11歳まで又野村で過ごした後、父・行正に従い明治元年(1868年)に番町国学者平田篤胤の子・鉄胤が開いていた平田塾にて学び、次いで明治4年(1871年)に高崎に引越し、地元の英学校にて英語を学ぶ。その後、明治5年1872年)に度会県山田(現・三重県宇治山田)に居を移す。行雄も宮崎文庫英学校に入学した。父は熊本転任が予定されていたため、東京遊学を許し、行雄に弟を同行させて慶應義塾へ向かわせた。