承継
軌跡

(25歳で独立)

1858年(安政5年)、奉公人として江戸に出る。最初は玩具屋に、ついで鰹節屋兼両替商に勤めた。25歳で独立し、乾物と両替を商う安田商店を開業した。やがて安田銀行(後の富士銀行。現在のみずほフィナンシャルグループ)を設立し、その後には損保会社(現在の損害保険ジャパン)、生保会社(現在の明治安田生命保険)、東京建物等を次々と設立した

(逸話)

  • 済生会のために百万円を寄付するように政府から求められたが、安田は三十万円しか寄付しなかった。そのせいで叙爵されなかった。
  • 融資の判断をするために富士製鋼を視察した際に、安田は迎えの自動車を断って、本所 (墨田区)横網町の邸宅から、早朝割引で品川まで市電に乗り、そこから自分が経営する京浜電車川崎まで行った。昼食は持参した握り飯で済ませた。支出は市電の料金だけだった。
  • 安田は、大洋丸浅野総一郎フィリピンまで船旅した時に、お付き合いで汽車の一等車に乗ったが、それ以外は一等車に乗ったことが無かった[23][24]