承継
軌跡
ハンギョレ新聞紙面から
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子ども、教師、親が一緒に作る共同育児、脱北青少年のための教育から、日本による植民地時代強制徴用犠牲者の遺骨返還に至るまで、韓国社会の共同体実現のために生涯を献身してきた漢陽(ハニャン)大学の鄭炳浩(チョン·ビョンホ)名誉教授が8日午前9時1分に死亡した。 享年69。

故人は京畿高校2年生在学中に戒厳令と維新憲法が宣布されるや反対闘争に参加した。 1970年代末、ソウル新林洞(シンリムドン)に国内初の低所得層乳児院「へソン乳児院」の建設を主導し、国内初の協同組合型保育所を設立して共同育児方式を全国に伝播した。 彼の努力で現在、共同育児共同体教育の教育現場は100ヵ所を超える。 海松乳児院設立は今年有名を異にした「朝露」作曲家であり学戦設立者であるキム·ミンギの後援公演で用意された基金が土台になった。

彼は「いつも青い学校」、「一つ二つ学校」など独立的な代案学校を作って脱北した青少年の社会適応を助け、社団法人子供肩組み(オリニオッケドンム)理事として北朝鮮の子供の生命を生かし南北の子供たちが交流する活動を展開した。

彼は約20年間、約10回にわたり北朝鮮を訪問し、飢饉救護活動を行い朝中国境地域で脱北民と交流するなど活動家として活躍し、現場研究を進めた。 このような経験をもとに、好戦的で荒い言動を日常的に行う北朝鮮をどう見るべきかハンギョレに連載したコラム「チョン·ビョンホ、記憶と未来」で助言したりもした。

「戦争も辞さないという主張や相手を侮辱する暴言は脅威でもあるが、悲鳴でもある。 私たちを認めてほしい、理解してほしいという切迫した人々の言葉法であり身振りだ。 武器を手放すためには、まずその気持ちを理解しなければならない」(2022年7月16日分、ハンギョレ)という心理を働かせませんか?’)

東アジア共同ワークショップ(ピースタウン)共同代表を歴任した故人は光復70周年をむかえた2015年に韓日市民団体が作った「強制労働犠牲者追慕および遺骨帰郷推進委員会」韓国代表として日本北海道で犠牲者遺骨115基の故国奉還作業を率いた。

彼は韓国外大政治外交学科を卒業し、米国イリノイ大大学院で修士·博士号を取得した。 韓国文化人類学会長、漢陽大学グローバル多文化研究院長、移住背景青少年支援財団所長、統一部ハナウォンハナドゥル学校校長、ハンギョレ統一文化財団理事などを歴任した故人は南北平和、多文化主義定着、脱北青少年教育などに寄与した功労で米国イリノイ大学国際同文賞を受賞、「実践人類学」分野の開拓者として位置づけられた。 北朝鮮社会の研究をもとに「劇場国家北朝鮮」、「苦難と笑いの国」などを著述した。 今年英文で出版した「Suffering and Smiling:Daily Life in North Korea」が彼の最後の著書として残った。

訃報

訃報
故 鄭 炳浩(チョン・ビョンホ)漢陽大学校文化人類学科名誉教授
1955年7月27日〜2024年12月8日

韓国文化人類学会長等を歴任された文化人類学者である鄭炳浩(チョン・ビョンホCHUNG Byeong-ho)さんが、肺がん治療のため入院加療中のところ、12月8日亡くなりました。享年69歳でした。
1955年ソウル市に生まれた鄭さんは、高校時代から当時の軍事独裁政権に反対し、韓国の民主化運動に参加しました。大学在学中には韓国社会における差別・不平等の問題に関心を持ち、ソウル市内の貧困層の子どもとその家族のための保育運動を仲間と共に精力的に展開なさいました。その後、米国イリノイ大学で文化人類学を専攻し、日本における幼児保育システムを研究。これらの研究成果と大学時代の保育支援運動の経験に基づいて、鄭さんは韓国に帰国後、「共同育児システム」を韓国社会に定着させます。自ら理事長を務める「社団法人共同育児共同体教育」は、先月に創立30周年の節目を迎えています。
漢陽大学校文化人類学科の教授として在職中には、朝鮮民主主義人民共和国と韓国、日本やアジアの子どもたちがお互いの似顔絵で交流する運動を展開され、朝鮮半島の平和課題を子どもたちの視点から見つめ直すことを韓国社会に訴えました。この運動は、朝鮮と韓国の子ども中心の交流として朝鮮半島の平和を目指すNGO団体「オリニオッケドンム(어린이어깨동무)」として、現在まで続けられています。
また、日韓の歴史問題と和解についても深い問題意識を持っていた鄭さんは、1997年北海道幌加内町朱鞠内で行われた日韓共同ワークショップに韓国側代表として参加し、強制連行の犠牲者の遺骨を発掘しました。以後、このワークショップは日韓の歴史問題を共に直視することで、日本と韓国、台湾の若者がお互いを理解し、平和な未来を展望する市民運動へと発展しました。鄭さんはこの市民運動の韓国側の組織である「平和の踏み石」の代表も務めておりました。最近はこの市民運動の求心点だった朱鞠内の「笹の墓標展示館」再建運動にも力を入れていました。その結果「笹の墓標展示館」は去る9月28日に「笹の墓標強制労働博物館」として開館することができました。この開館式への参加が鄭さんの最後の来日でした。その他にもイリノイ大学の有名な日本研究者であるD.プラス教授の教え子だった鄭さんは、甲南イリノイ研究センターの所長を務めるなど、日本とアメリカの相互理解と交流にも大きく貢献しました。
鄭さんは日韓の真の和解を望み、東アジアの平和の実現のために生涯にかけて実践をし続けた実践人類学者でありました。そして実践のみならず文化人類学者として学問的にも大きな業績を残されました。代表的な著書に、『「劇場国家」北朝鮮: カリスマ権力はいかに世襲されたのか 』、『人類学者がのぞいた北朝鮮: 苦難と微笑の国』などがあります。

葬儀はソウル峨山病院において家族葬で行われます。