承継
軌跡

(生い立ち)

1901年明治34年)7月7日、福島県岩瀬郡須賀川町(現:須賀川市)で生まれた[出典 3][注釈 1]。生家は大束屋(おおつかや)という業を営む商家だった[14]

1904年(明治37年)、母セイが次男出産後に病死(享年19)[13][14]。婿養子だった父の白石勇は離縁され、祖母ナツに育てられた[13][14]。また、5歳年上の叔父一郎が、兄のように英一を助け、可愛がっていた[14]。ナツの家系には、江戸中期に日本へ銅版画洋画を持ち込んだ亜欧堂田善がおり、後に英二は自身の手先の器用さは田善に由来するものであると考えていることを語っていた[14]

1908年(明治41年)、須賀川町立尋常高等小学校尋常科に入学。自宅敷地内の蔵の二階を私室としてあてがわれ、水彩画に没頭する。絵の腕は大人も驚く出来だったが、あまり外向的な子供ではなかったという。

1910年(明治43年)、東京の代々木錬兵場で徳川好敏日野熊蔵両大尉が飛行機により日本初の公式飛行に成功。これに強く感銘を受けた円谷は操縦士に憧れを持ち、模型飛行機の制作に没頭する[出典 4]。6年生になると、金属製の飛行機の発動機を製作するほどの飛行機少年だった。