承継
軌跡

(幼少期~学生時代)

1868年11月9日(旧暦)、平民階級の當山家(屋号=ウフヤ)の長男(5人きょうだいの2番目)として、琉球王国金武間切(現在の沖縄県金武町)並里に生まれる。久三の弟・又助によると、少年時代の久三は勉強も運動もできたが「ンザリムヌ(手に負えない者)」であったという[3]。久三と同年生である仲田徳三の回顧によると、少年時代の久三は剛毅で物事にこだわらない腕白小僧で、他を威圧して「ウフヤの棒(ブッキラボー)」とあだ名されていたという[4]

1882年に金武小学校が創立されると、同級生29名とともに入学。当時の小学校は4年制であったが、優秀な成績を収めた久三は、2年で卒業が認められた[5]

1884年、小学校を卒業した久三は沖縄県尋常師範学校に入学[6]。在学中に結婚し、長男・久夫をもうけている[1]1890年卒業[6]