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お兄ちゃんへ
8人兄妹の2番目で、長男として生まれたお兄ちゃん、私はお兄ちゃんと8歳違うので幼い頃は、良く面倒を見てもらいましたね、一番の思い出は、高校受験の試験の日、私は、食べ物の好き嫌いが多いのに、勝利を願って、ハムカツサンド(カツ)、オムレツサンド(黄色は、幸福と思い)を入れて食べやすいサイズに作ってくれましたね、覚えてますか?お母さんが作ってくれるお弁当も美味しいけど、もっと嬉しい美味しいお弁当でした。勲ちゃんが、闘病中も一生懸命スープを作って病院に届けてましたね、今だから話せますが、あの時は、勲ちゃん喉に通っていかず飲めなかったのですが、せっかく兄ちゃんが作ってくるから飲んでたふりをしていたそうです、代わりに飲んでいたお母さんは、美味しいと言ってましたよ。(笑)☺、書き出したら楽しい事、悲しい事、怒りたい事、嬉しい事沢山沢山あって書ききれないので、此れからは、空に向かって話しますね、覚悟して聴いて下さいね。(笑)☺この投稿を読ませて戴き、改めてお兄ちゃんの偉大さを感じる事が出来ました、そして長い間の闘病生活を乗り越えここまで過ごす事が出来たのは、お姉さん、子ども達、孫達、支えて下さった皆さんのお陰だと思っております、兄のまた違った一面をしり、お兄ちゃんは、辛い苦しい闘病生活ではなくて、幸せな闘病生活で一生を終る事が出来、あの世に旅立ち出来るのだと思えました、これからもずっとずっと、兄は、皆さまの幸せを願い、笑顔で見守る事と思います。また、折りに触れ生前の兄の話しを皆さまでして頂ければと思います、きっと後ろで頭からヒカリを出し、皆さまを照らしてますから、(笑)☺お兄ちゃんさよならは言わないです、何時か会いましょうね。安子より
お父様のご逝去を悼み心よりお悔やみ申し上げます。
オリーブが老人デイサービスを経営していた時、お父様がお食事を作って下さることがありました。
歯の悪い方や、嚥下能力低下の利用者さんでも安心して食べられるよう配慮された「ふわふわの豆腐ハンバーグ」、食欲低下の方には個別対応でその方の大好きな素麺で栄養たっぷりの「玉子とじ煮麺」を作っておられました。
お父様が作られた「大根の煮物」は照り輝いており薄味なのに最高に美味しかった記憶があります。
オリーブは食事をとても大切にしている施設です。
私はお父様の料理を食べて、オリーブ経営陣があたたかい手作りの美味しい食事にこだわる意味がわかりました。
聖子さん、可奈さんもあたたかく気持ちのこもった料理を作られます。
食事を大切にする方に育てられた方は、同じように食事を大切にします。
豊かさが伝わっていくことは、お父様が取り組んでこられた軌跡なのですね。
私はオリーブコミュニティ管理栄養士として、お父様や経営陣みなさんの御志を引継ぎ、食事の大切さを伝えていけるよう努めていきたいです。
お父様は日曜大工もお得意で、オリーブのキッチン横に調理テーブルもつけて下さいました。
いつもあのテーブルは大活躍で、ずっとなくてはならない存在です。
そして、お父様の横にはいつもお母様。
私の憧れの先輩御夫婦です。
お父様
今までありがとうございました。
これからもみんなで、オリーブコミュニティを盛り立てていきます。
どうぞ見守っていて下さいね。
オリーブコミュニティ管理栄養士
松本 綾
オリーブが老人デイサービスを経営していた時、お父様がお食事を作って下さることがありました。
歯の悪い方や、嚥下能力低下の利用者さんでも安心して食べられるよう配慮された「ふわふわの豆腐ハンバーグ」、食欲低下の方には個別対応でその方の大好きな素麺で栄養たっぷりの「玉子とじ煮麺」を作っておられました。
お父様が作られた「大根の煮物」は照り輝いており薄味なのに最高に美味しかった記憶があります。
オリーブは食事をとても大切にしている施設です。
私はお父様の料理を食べて、オリーブ経営陣があたたかい手作りの美味しい食事にこだわる意味がわかりました。
聖子さん、可奈さんもあたたかく気持ちのこもった料理を作られます。
食事を大切にする方に育てられた方は、同じように食事を大切にします。
豊かさが伝わっていくことは、お父様が取り組んでこられた軌跡なのですね。
私はオリーブコミュニティ管理栄養士として、お父様や経営陣みなさんの御志を引継ぎ、食事の大切さを伝えていけるよう努めていきたいです。
お父様は日曜大工もお得意で、オリーブのキッチン横に調理テーブルもつけて下さいました。
いつもあのテーブルは大活躍で、ずっとなくてはならない存在です。
そして、お父様の横にはいつもお母様。
私の憧れの先輩御夫婦です。
お父様
今までありがとうございました。
これからもみんなで、オリーブコミュニティを盛り立てていきます。
どうぞ見守っていて下さいね。
オリーブコミュニティ管理栄養士
松本 綾
お父様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。
私は聖子さんの小学校からの友人で、太田(旧姓:土井)よし子と申します。
お父様(ここではパパさんと呼ばせて頂きます。)や、ご家族皆さんとの思い出が色々ありますので、ご紹介させて頂きます。
小学生の頃は、よく遊びに行ってママ&パパさんが作る夕飯をちゃっかりご馳走になったこと。
中高校生の頃は、聖子と朝から夜中まで遊び過ぎで一緒に叱られたこと。
社会人になってからは、聖子宅に来たはずが、パパさん宅でママ&パパさんとお茶して、まったりし過ぎて聖子に呆れられたこと。
毎年、聖子宅で行われる忘年会に招かれママ&パパさんや聖子、可奈ちゃんの作ったお料理をご馳走になり、「よく、食べるねー」と笑われたこと。
カキを七輪で焼く係の如く、どや顔で七輪前を占拠していたパパさん。
どれもが、私とパパさんや聖子ファミリーとのかけがえない思い出です。
いつも、穏やかで周りを明るく照らして下さったパパさんが、唯一吐露された事がありました。
「土井ちゃん、俺やっぱ、ない足が痛いんだよね。辛いんだ。」義足となってからも、気丈にされてましたが、ずっと悩まされていたことと思います。私が小学生の頃から闘病されていて、もっと言いたい事や思いがあったでしょうが、辛い発言はこの一言だけでした。
いつもどんなに辛くても、気さくで陽気で、和ませて下さるパパさんで、子供達やお孫さん達からもイジられ愛される方でした。
なかなか、会いに行けず申し訳ない気持ちでいっぱいです。
お世話になり有り難うございました。どうか、安らかにお休み下さい。
ママさんや聖子、ご家族の皆さんも悲しみや寂しさが募るかと思います。けれど、パパさんがこれからも皆を明るく穏やかに、見守って下さると思いますので、どうか、笑顔で支え合いながらお過ごし下さい。
パパさん、今までお疲れ様でした。私をいつも明るい気持ちにさせて下さって、有り難うございました。ゆっくりお休みくださいね。
太田よし子
私は聖子さんの小学校からの友人で、太田(旧姓:土井)よし子と申します。
お父様(ここではパパさんと呼ばせて頂きます。)や、ご家族皆さんとの思い出が色々ありますので、ご紹介させて頂きます。
小学生の頃は、よく遊びに行ってママ&パパさんが作る夕飯をちゃっかりご馳走になったこと。
中高校生の頃は、聖子と朝から夜中まで遊び過ぎで一緒に叱られたこと。
社会人になってからは、聖子宅に来たはずが、パパさん宅でママ&パパさんとお茶して、まったりし過ぎて聖子に呆れられたこと。
毎年、聖子宅で行われる忘年会に招かれママ&パパさんや聖子、可奈ちゃんの作ったお料理をご馳走になり、「よく、食べるねー」と笑われたこと。
カキを七輪で焼く係の如く、どや顔で七輪前を占拠していたパパさん。
どれもが、私とパパさんや聖子ファミリーとのかけがえない思い出です。
いつも、穏やかで周りを明るく照らして下さったパパさんが、唯一吐露された事がありました。
「土井ちゃん、俺やっぱ、ない足が痛いんだよね。辛いんだ。」義足となってからも、気丈にされてましたが、ずっと悩まされていたことと思います。私が小学生の頃から闘病されていて、もっと言いたい事や思いがあったでしょうが、辛い発言はこの一言だけでした。
いつもどんなに辛くても、気さくで陽気で、和ませて下さるパパさんで、子供達やお孫さん達からもイジられ愛される方でした。
なかなか、会いに行けず申し訳ない気持ちでいっぱいです。
お世話になり有り難うございました。どうか、安らかにお休み下さい。
ママさんや聖子、ご家族の皆さんも悲しみや寂しさが募るかと思います。けれど、パパさんがこれからも皆を明るく穏やかに、見守って下さると思いますので、どうか、笑顔で支え合いながらお過ごし下さい。
パパさん、今までお疲れ様でした。私をいつも明るい気持ちにさせて下さって、有り難うございました。ゆっくりお休みくださいね。
太田よし子
お父様のご逝去を悼み心よりお悔やみ申し上げます。
私の長男、次男が聖子さんの子どもと同い年で保育園からのお付き合いで、今まで20年近く子育てやお仕事を一緒にしてきて、お父さんにも大変お世話になりました。
保育園時代は毎週のようにお家に遊びに行かせてもらっていて、賑やかにはしゃぐ子ども達をお父さんはいつも優しく受け入れてくださってました。
また、長男の保育園の謝恩会では、孫のももちゃんや皆のために全員分のお弁当を作ってくださいました。料理上手なお父さんの作るお弁当はまるで料亭の高級仕出し弁当のように豪華で、とっても美味しいお弁当でびっくりしました。料理下手の私が人参を花型に切ってお手伝いした際は「それじゃ分厚すぎるよ~」と笑ってダメ出ししてくれたのも良い想い出です。
足の具合が悪く切断された時は本当にお辛かったと思います。義足を付けてズボンを履くのが難しいので何とかならないかと相談されたことがあり、私がジーンズの脇にファスナーを付けて着脱できるようにしたところ、大変喜んでくださいました。義足でジーンズを履きこなすお父さんはカッコ良かったです!
それから子ども達も大きくなり、あまりお家に伺うことは少なくなりましたが、たまにお邪魔するといつも笑顔で迎えてくださいました。
私が生前最期にお目にかかったのは一時退院されてご自宅にいらっしゃった時で、やっと退院できて家族に囲まれて嬉しそうなお顔のお父さんでした。その時にあまり顔を見せてない私にも「晃代ちゃんいつもありがとうね」とお声がけくださり、こちらこそありがたいなぁと感じました。
私が想い出すのはご家族に囲まれて嬉しそうに笑うお父さんの笑顔ばかりです。気丈に振る舞う聖子さんやお母さんのお気持ちを思うとかける言葉もみつからないですが、きっとお父さんがずっと見守ってくださっていると思うので、これからもみんな笑顔で日々を過ごしていけますように。
お父さんいままで本当にありがとうございました。
聖子さんの友人 田中晃代