私は、明治20年 新潟から北海道札幌そして滝川市に根付く山崎石材工業の五代目として、家業である石材業を継承しております。
1992年のアルベールビルオリンピックでは、日本人唯一のモーグル代表として出場し、挑戦することの喜びと困難を乗り越える力を学びました。この経験は、私の人生観や物事への見方に深い影響を与えています。
永遠の情熱心に共感し、人々の想いを形に残す石碑づくりに全力を注ぎました。 続いてきたお客様との絆。 それらがすべて私の心に刻まれ、私の人生の根幹を形作りました。
この私自身の歴史は、これまでの歩みを記録し、次へとつなぐための物語です。 家業に込めた想い、そして挑戦への姿勢に、共感していただければ幸いです
1992年のアルベールビルオリンピックでは、日本人唯一のモーグル代表として出場し、挑戦することの喜びと困難を乗り越える力を学びました。この経験は、私の人生観や物事への見方に深い影響を与えています。
永遠の情熱心に共感し、人々の想いを形に残す石碑づくりに全力を注ぎました。 続いてきたお客様との絆。 それらがすべて私の心に刻まれ、私の人生の根幹を形作りました。
この私自身の歴史は、これまでの歩みを記録し、次へとつなぐための物語です。 家業に込めた想い、そして挑戦への姿勢に、共感していただければ幸いです
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東日本大震災の津波記憶石建立
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Steep 「フジテレビハイビジョン映像」1993年撮影in Niseko
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1993年のニセコアルペンスキー場 主にセンター4周辺の撮影。(現ニセコヒラフスキーリゾート)で約10日間の撮影。ほぼ毎日吹雪でパウダー天国ではあったけども、晴れ間が束の間の困難な撮影。 この時代のスキーは板は、細板190㎝の長さのモーグル用でモーグルからパウダーをすべてカバー。しかし、このころのニセコのパウダーゾーンはほんとに限られた人しか行かないので、ほぼボトムレスパウダー!で細板でも浮きまくり。 ハイビジョン放送が世の中に出始めたこと、フジテレビの澤田篤宏との偶然の出会いが生んだ映像です。一つのカメラに雪上車がセットで2カメラが動くという大掛かりな撮影。スキームービーとしては、巨額な予算で撮られた映像です。 出演スキーヤー 山崎 修 五十嵐和哉 佐藤一臣 芳澤秀雄 石川マコト 庄司克史 Filmed in 1993 at Niseko Alpine Ski Resort, mainly around Center 4. Filmed for about 10 days at (now Niseko Hirafu Ski Resort). It was a powder paradise with blizzards almost every day, but there were brief periods of sunshine and difficult filming. Skis at that time were 190cm long, thin boards for moguls, covering everything from moguls to powder. However, since only a limited number of people went to Niseko's powder zone at that time, it was almost bottomless powder! Even with thin boards, you float a lot. This footage was born from a chance encounter with Atsuhiro Sawada of Fuji TV, when high-definition broadcasting had just started to appear. It was a large-scale shoot with two cameras, one set with a snowmobile. For a ski movie, it was shot with a huge budget. Skiers featured: Osamu Yamazaki, Kazuya Igarashi, Kazuomi Sato, Hideo Yoshizawa, Makoto Ishikawa, Katsushi Shoji
1993年のニセコアルペンスキー場 主にセンター4周辺の撮影。(現ニセコヒラフスキーリゾート)で約10日間の撮影。ほぼ毎日吹雪でパウダー天国ではあったけども、晴れ間が束の間の困難な撮影。 この時代のスキーは板は、細板190㎝の長さのモーグル用でモーグルからパウダーをすべてカバー。しかし、このころのニセコのパウダーゾーンはほんとに限られた人しか行かないので、ほぼボトムレスパウダー!で細板でも浮きまくり。 ハイビジョン放送が世の中に出始めたこと、フジテレビの澤田篤宏との偶然の出会いが生んだ映像です。一つのカメラに雪上車がセットで2カメラが動くという大掛かりな撮影。スキームービーとしては、巨額な予算で撮られた映像です。 出演スキーヤー 山崎 修 五十嵐和哉 佐藤一臣 芳澤秀雄 石川マコト 庄司克史 Filmed in 1993 at Niseko Alpine Ski Resort, mainly around Center 4. Filmed for about 10 days at (now Niseko Hirafu Ski Resort). It was a powder paradise with blizzards almost every day, but there were brief periods of sunshine and difficult filming. Skis at that time were 190cm long, thin boards for moguls, covering everything from moguls to powder. However, since only a limited number of people went to Niseko's powder zone at that time, it was almost bottomless powder! Even with thin boards, you float a lot. This footage was born from a chance encounter with Atsuhiro Sawada of Fuji TV, when high-definition broadcasting had just started to appear. It was a large-scale shoot with two cameras, one set with a snowmobile. For a ski movie, it was shot with a huge budget. Skiers featured: Osamu Yamazaki, Kazuya Igarashi, Kazuomi Sato, Hideo Yoshizawa, Makoto Ishikawa, Katsushi Shoji