東京市本所区横網町(現:
東京都墨田区横網)に生れる
[3]。
キリストの降誕日にちなんで「聖一」と名づけられた。父は
東京帝国大学工科助教授の了助、母はさわ子
[3]。弟3人と妹ひとりがいた。母方の祖父が財界で成功した富豪であったことから、目白(下落合)の高台に一族の複数の家が建ち並び、物心ともに贅沢な環境で育つ。生後100日頃に不注意から父の
百日咳がうつり、これが遠因となって晩年に至るまで
喘息に苦しむこととなる。1909年(明治42年)に父が
ドイツへ留学したため、
神奈川県腰越長山の母の実家の別荘に転居した。このころから祖母に連れられ、芝居見物をしていた。