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パリ五輪

坂本清美さんが2024年7月28日に投稿
2024年7月27日午前2時(日本時間)パリ五輪の開会式が行われました。
パリ市内を流れるセーヌ川を使った入場行進は斬新でオシャレで、さすがフランス。
テレビ画面から見るパリ市内、有名な観光名所も所々で映ります。橋の欄干から青白赤のトリコリールの煙が立ち上り三色旗を表現したタイミングはワクワク度がマックス。
兄がいたら、「あれはxx橋、あれはxx寺院、あっちはxxの丘!」なんて解説してくれたはずです。

去年の今頃、私はフランス・パリが大好きな兄に「パパ五輪は見に行かないの?」と聞いたら、「テレビでいいよ。オリンピックが終わったら街が落ち着くから、そしたら知優を連れて大学卒業祝いのパリ旅行をする。家族みんなで一緒に行こう!それまでは絶対死なない。」
そんな会話を何気なくしました。

あの頃は本人も私達も、兄は癌治療をしながらも何年もずっと生き続けると信じて疑っていませんでした。

父親が60歳から3つの癌に順にかかりその都度治療をして85歳まで生きたことで、兄も同じようにゆるりゆるりと行き続けると思いこんでいました。そのせいか半年で逝ってしまうとは全く覚悟していなかったのです。

今回のパリ五輪は前回の東京五輪とは違いコロナ禍の影響も無く選手も応援者もみんな生き生きとしています。
知優を連れてのパリ卒業旅行はタイミングをみて実行したいと思っています。

最後に見た桜

GhaniHideko-Aishahさんが2024年4月7日に投稿
兄のすい臓がんステージⅣと診断をされたのが2023年3月
ちょうど1年前のこと

そのときから
兄が1日でも長く生きられるようにと妹二人は協力をして
怒らない、喧嘩をしない、仲良く、楽しく
兄を支えていこうと約束をした

そして兄が旅行に行くときは出来る限り私が一緒に行くことに決めた
何もないだろうが、何かあったときのために

その時から12月に亡くなるまでの約8か月
兄との濃い思い出がたくさん

本当は楽しい思い出なのに
兄が亡くなった今では
1年前の今頃は。。。と、その思い出をなぞり
何とも胸がつぶされそうな思いになります

2023年4月 広島
東京では桜は散り始めていたけれど
宮島・厳島神社までフェリーに乗りながら見た
川沿いの土手の桜はちょうど満開
これがおそらく兄がみた最後の桜

生ガキを食べたいと宮島の端から端までお店をまわり
最後の1軒でみつけた時の兄の喜びよう
4月だからもう生ガキなんてないよ~とあきらめの早い私と違って
最後まであきらめない兄
おいしそうに生ガキをほおばる姿は今も目に浮かびます

夕食のお好み焼き屋では2人で1枚のお好み焼きをシェアして食べ
あれ?いつもより食欲がないな~とは思ったものの、
これから始まる抗がん剤治療をがんばって、早く治さなくちゃと
ガンになったことを嘆き悔やむより
むしろ治療で早く治して元気になる!と前向きな強い兄でもありました

宮島からの帰り際に「写真撮ってあげるよ」と
私の写真をとってくれたこと
なんでもない写真ですが、兄がとってくれた写真と思うと
とても大切な1枚になりました

また来ようね
今度は宮島に泊まって潮の満ち引きみようか
なんて言っていたのになぁ


宝塚大劇場

GhaniHideko-Aishahさんが2024年4月4日に投稿
兄がいなくなってから、自分で初めて宝塚の公演抽選申し込み

当たればラッキー、はずれて当然で軽いつもりでしたが
なんと前から2列の超VIP席が当選

ビギナーズラックなのか、兄の願いはまだそこにあるのか
こんなにいい席でみられるとは!
ということで宝塚大劇場まで観劇に行ってきました

JALの機内では隣の席にいつもいた兄がいないことが居心地が悪く
大劇場がちかずくに連れ、兄が入り口にたっていて
手を振って待っていてくれるような、不思議な感覚に襲われました

宝塚大劇場建物の入り口を見た時には
胸にこみ上げるものがあり、思わずうるうるとしてしまいました

そして、大劇場内には素敵な軽食が食べられるお店で兄の行きつけの店、
「カフェブライト」があります

生前大変親しくしていただいた女主人の粋なはからいで
いつも兄が座っていた席に案内されましたが
そこにはなんとお花と兄がいつも注文したミニサンドとアイスコーヒーが
置かれていました

お花のピンクのスイトピーは兄のシンボルマークともいえる
ピンクのシャツにちなんでを選んで飾ってくれたそうです

お店の女主人は宝塚から遠路はるばる東京・池袋のお別れ会にまで
来てくださいましたが、翌日の葬儀にはさすがに参列できないと
携帯で撮った兄の遺影をお店に飾り、出棺の時間にあわせて
お店のスタッフの皆様とお別れを告げてくれたと教えてくれました

「お兄さまは本当に優しく、人としてもとても素晴らしい方です!!」
そんなメッセージもくださり、
スタッフの方々も兄を偲んでいろいろと思い出を話してくれ
兄の人柄を感じさせる時間でもありました

宝塚の華やかなステージ
もし兄がこの席でみていたらと思うと
もう見られないんだよね
どうしてこんなに早く逝ってしまったんだと
涙がポロポロ止まりませんでした



一年前の今日

坂本清美さんが2024年3月25日に投稿
一年前の今日、満開の桜が雨に濡れて散り始めた2023年3月25日(土)は純一にとって甥の知優(トモヒロ)の二十歳のお祝いをした日です。誕生日は3月11日ですがみんなの都合が良い日を選びました。
好例の焼肉トラジで食事をしました。
シャンパンで乾杯しましたが、親よりも誰よりも知優の成人を喜んでいたのは純一でした。

この時の様子の短い動画を追悼サイトにアップしました。純一の動く姿と声が聞けます。よかったら再生してみてください。

知優が赤ちゃんの時、夜泣きがひどく、兄は真夜中にもかかわらず近くの公園に知優を抱っこして連れて行き、あやしてくれました。あれから20年。目に入れても痛くないくらい可愛がっていた知優の成人を祝い、「2年後はちょうど早稲田大学の卒業式の日だね。自分の角帽をゆずるから。」と楽しみにしていたのに、その卒業式を見ることはかなわなくなりました。

本人も私達もまさか一年後にこの世にいないなんて全く想像していませんでした。
これから先何度も桜が見れると思っていました。
もっとたくさん思い出を作れると思っていました。
全く疑うことが無かったのです。
無念です

四十九日

坂本清美さんが2024年1月25日に投稿
早いもので兄が旅立ってから今日で四十九日です。極楽浄土に到着し、両親に会えたでしょうか?

本来であれば納骨する日ですが、両親が眠る地、秩父は氷で閉ざされています。桜の咲く頃に納骨を予定しています。

去年の春は、原因不明の体調不良が続くなか、精密検査を受けに行く途中で一緒に桜を眺めました。診察を待つ間に見た帝京病院の大きなガラス窓の待合室からの美しい桜を来年は見れないなんて、そのとき一体誰が想像できたでしょうか?

年月を重ねると守りたいものや失いたくないものが増えてきました。
人の命は予想がつかなく、実に儚いものです。日々一日一日を大切に生きていきたいものです。

年賀状

HidekoAishah-Ghaniさんが2024年1月8日に投稿
兄がいなくなってから
クリスマスが過ぎ
お正月が過ぎ
いつも特になにをしたわけではないけれど
やっぱり常にいたところにいた人がいないのは寂しいものです

お正月といえば
東京宝塚公演の新年初日の1月3日
実家に帰省をしている私のためにいつも公演チケットをプレゼントしてくれました
2024年も1月3日は観劇に行ってねと言ってくれていたけれど
私にチケットを渡す前にいなくなってしまった兄です

兄に最初の勤務先の後輩、宝塚関係の友人より
年賀状が届きました

これから兄はもういないことをお知らせしますが
驚かれるでしょうね

・ご無沙汰しています、お会いしたいですね
・今年も観劇楽しみですね
・素敵な1年をお過ごしください

年賀状のメッセージにまた涙があふれます

兄が旅立ってから1ケ月が経ちました
今日は月命日です



奇跡の一日

HidekoAishah-Ghaniさんが2023年12月22日に投稿
兄が楽しみにしていた家族揃ってのディズニーランド

最新のアトラクション`美女と野獣`に乗るぞ~って張り切って出かけた12月3日(日)の朝
到着したディズニーリゾートのホテルロビーでディズニー40周年記念のオーナメントを背景に記念写真

開園から閉園まで丸一日
念願の美女と野獣に乗って、カントリーベアショーも見て、花火を眺め、閉園ぎりぎりでカリブの海賊にも乗って、もちろんパレードもすべて見て

見たい物、乗りたいものをすべて満喫した、まさに夢の国で過ごした「奇跡の一日」でした

最後の最後にディズニーのキャストからガーランドをもらい
「メリークリスマス」また「あけおめ」で待ってますね~と声をかけられ
「あけおめ」だって、若いね~もちろん来年も来ますよ!って
笑顔で話していたのが思いだされます。

そしてその日から5日後の12月8日(金)の朝
静かに眠るように兄は息をひきとりました

RIP


四年間の青春の時

森毅さんが2023年12月21日に投稿
高木君と大学一年の初めに早稲田大学英語部 (WESA) で知り合ったことで、僕の大学生活は始まりました。
2年の秋に部の運営を皆と一緒に執ることとなった時も、常に傍に居て心の支えになってくれ、彼抜きでの僕の大学4年間はなかったと思います。
(ちなみに、当時の彼の頭の中には僕達同期の一週間の授業スケジュールが全て把握されており、今振り返っても驚きの一言です。)
未整理の写真ボックスをひっくり返したら彼との思い出の写真が次々と出てきて、思い出に浸って気づいたら2時間が経ってました。
その一枚一枚には、確かに僕達が刻んだ懐かしい青春の時が写されていました。
ありがとう高木君。

お誕生日

坂本清美さんが2023年12月21日に投稿
2020年10月お誕生日のお祝いにフレンチレストラン「パリの朝市」に御招待。
デザートはロウソクが灯っているバースデープレートをサプライズで用意。
まるでディズニーランドのようだと喜んでいた。
肉声が聞ける貴重な動画。

兄との思い出

坂本清美さんが2023年12月19日に投稿
11歳違う兄は1番下の妹、私清美のことをまるで自分の子供のように可愛がってくれました。

私が生まれて間もない頃、夫婦喧嘩をする両親が狭い部屋で大立ち回りする中、畳で寝ている赤ん坊の私を抱いて走って外に逃げたそうです。このままでは赤ん坊の顔を踏み潰しそうな勢いの激しい夫婦喧嘩だったそうです。
私の鼻が潰れていないのは僕のおかげだとよく自慢げに語っていました。

兄が最後に自宅療養している時、わざわざ私が全ての仕事を辞めて兄のために介護するなんてと驚いていましたが、そのエピソードを話題にして、恩返しだよって言ったら笑っていました。
その笑顔が今でも目に焼き付いています。

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