承継
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この追悼サイトは、私たちの愛する 三石 敏雄 (享年85 ) のために作成されました。

彼は1935年2月16日に日本の京都府京都市にて生を受け、2020年11月1日にアメリカ合衆国のカリフォルニア州ロサンゼルス市にてその生涯を終えました。

私たちは彼の家族や友人に対する献身的な姿勢を忘れないと共に、ジャーナリストとして、またアメリカにおける最初の日本語による出版物を世に送り出した先駆者としての彼の功績を誇りに思います。

亡父の メモリアルビデオ を作成しましたので、下記のリンクよりご覧ください:
"In Loving Memory of Toshio Mitsuishi"
http://cutt.ly/toshiomvideo

ご意見、ご感想等ございましたら、下記のメールアドレスへご連絡いただければ幸いです。

三石家代表メールアドレス: [email protected]

注記:皆様からのコメント、また家族へご共有いただけるお写真がありましたら、当サイトにてお待ちしております。(メモリアルサイトにコメント、お写真を共有をされる場合には簡単な登録が必要となります。お手数をおかけいたしますが、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。)
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This memorial website is created in memory of our beloved, Toshio Mitsuishi, 85 years old.

Born on February 16, 1935 in Kyoto, Japan and passed away on November 1, 2020 in Los Angeles, California, USA.

He will be ever remembered for his dedication to his family, friends and his work as a well-respected journalist and pioneer in the Japanese publishing industry in the United States.

Please also visit and view the memorial video below:
"In Loving Memory of Toshio Mitsuishi"
http://cutt.ly/toshiomvideo
Please send any correspondences to the following:

Family Email: [email protected]

Note: Relatives and friends are welcome to make comments and upload photos that our family may not have in our photo library. (Requires simple free account registration for security purposes.)
このメッセージは、 2021年11月1日に、有村 Arimura理   Osamuさんが投稿
三石様の突然の訃報をToddさんからのメール連絡で知り、あれから1年が経ち、今日11月1日に改めまして御冥福を心からお祈りいたします。
私がノースウェスト航空LA支店の駐在員として赴任したのが1988年の春。ダウンタウンのニューオオタニホテルでのレセプションで初めてお目にかかりました。それからは日系企業の様々な方にご紹介くださり、米系航空会社の中でノースウェスト航空を特別ごひいきにしていただきました。三石様の会社の講演会などの時は協賛させて頂き、皆様にも広くご紹介してくださり心強い限りでした。
一度ご一緒にペブルビーチのゴルフコースにLAから車で旅行を兼ねてロッジに泊まりプレーした事が一番の思い出になっています。
92年の春に帰国が決まり最後の送別会に私共家族の為にわざわざご参加くださり本当に光栄でした。
日本に帰国後も三石様ご夫妻やToddさんご夫妻とも神戸でお会いでき、一緒にお食事出来た事も今では懐かしく思い出されます。
コロナ禍の中で自由が効かず最後にまたお目にかかりたかったのが叶わず遠くからいつも感謝しています。本当にありがとうございました。
天国にいる奥様とご一緒に安らかにお休みください。
神戸より、有村 理



このメッセージは、 2020年12月24日に、IzumikawaGenkiさんが投稿
三石さん、元気?今頃は最愛の奥さまと天国で仲良く暮らしておられると思います。三石さんはイエス様を受け入れて下さいましたから、間違いなく神の国にゴール インされています。私はまだ行った事がありませんので、どんな所か教えて下さい。^^「貴方は私の一番の親友だ!」と仰って下さいました。
しかし、親友ではなくて、私たちはイエス様の血を受けた兄弟でした。
お兄ちゃん、天国で神様に嫌われないようにイエス様の言う事をよく聞いて下さい。今は、奥様といつも一緒ですから、この世にいた時よりも幸せですね。^^
このメッセージは、 2020年12月22日に、NaritaMieさんが投稿
長い間、奥様と仲良く成田ファミリーデンタルへいらして下さったのが思い出されます。今は天国で大好きな奥様と楽しい時間を過ごしていらっしゃるのでしょうね。心よりご冥福をお祈り致します。成田美栄・真季
このメッセージは、 2020年12月22日に、伊藤昌志さんが投稿
立派なサイトが出来ましたね。ご苦労様でした。
これで三石さんに会いたくなったらいつでもこのサイトで会えますね。
水曜会ゴルフも三石さんの発案でスタートしました。
ビジネスニュースを引退した後は年に一度の海外旅行、家庭菜園を楽しみとても幸せな日々をおくられたと思います。今頃奥様とご一緒に仲良く手をつないでいるのではないでしょうか。
このメッセージは、 2020年12月21日に、MutoYumikoさんが投稿
三石さん、生前は色々とお世話になりました。Apple Computerの会を通じて三石さん、奥様とお知り合いになり、楽しい時間を過ごすことができて本当によかったです。ご冥福をお祈りいたします。

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2021年11月1日に、有村 Arimura理   Osamuさんが投稿
三石様の突然の訃報をToddさんからのメール連絡で知り、あれから1年が経ち、今日11月1日に改めまして御冥福を心からお祈りいたします。
私がノースウェスト航空LA支店の駐在員として赴任したのが1988年の春。ダウンタウンのニューオオタニホテルでのレセプションで初めてお目にかかりました。それからは日系企業の様々な方にご紹介くださり、米系航空会社の中でノースウェスト航空を特別ごひいきにしていただきました。三石様の会社の講演会などの時は協賛させて頂き、皆様にも広くご紹介してくださり心強い限りでした。
一度ご一緒にペブルビーチのゴルフコースにLAから車で旅行を兼ねてロッジに泊まりプレーした事が一番の思い出になっています。
92年の春に帰国が決まり最後の送別会に私共家族の為にわざわざご参加くださり本当に光栄でした。
日本に帰国後も三石様ご夫妻やToddさんご夫妻とも神戸でお会いでき、一緒にお食事出来た事も今では懐かしく思い出されます。
コロナ禍の中で自由が効かず最後にまたお目にかかりたかったのが叶わず遠くからいつも感謝しています。本当にありがとうございました。
天国にいる奥様とご一緒に安らかにお休みください。
神戸より、有村 理



このメッセージは、 2020年12月24日に、IzumikawaGenkiさんが投稿
三石さん、元気?今頃は最愛の奥さまと天国で仲良く暮らしておられると思います。三石さんはイエス様を受け入れて下さいましたから、間違いなく神の国にゴール インされています。私はまだ行った事がありませんので、どんな所か教えて下さい。^^「貴方は私の一番の親友だ!」と仰って下さいました。
しかし、親友ではなくて、私たちはイエス様の血を受けた兄弟でした。
お兄ちゃん、天国で神様に嫌われないようにイエス様の言う事をよく聞いて下さい。今は、奥様といつも一緒ですから、この世にいた時よりも幸せですね。^^
このメッセージは、 2020年12月22日に、NaritaMieさんが投稿
長い間、奥様と仲良く成田ファミリーデンタルへいらして下さったのが思い出されます。今は天国で大好きな奥様と楽しい時間を過ごしていらっしゃるのでしょうね。心よりご冥福をお祈り致します。成田美栄・真季
軌跡

我々の父、三石敏雄について / About our father, Toshio Mitsuishi

私たちの父、三石 敏雄について

私たちの父 三石 敏雄は、第二次世界大戦中の混乱期で生まれ育ち、多忙を極めた人で、出版業界で尊敬されるビジネスマンでした。父 敏雄と母 圭子は、東京で働いている時に出会い、母はとても献身的に生涯父を支え続けました。1970年、敏雄は転勤によって、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市に移住しました。そして、1975年にアメリカ合衆国に留まることを決意し、USジャパンビジネスニュース社を立ち上げました。そこで出版されたジャパンビジネスニュースは、初めてアメリカ全土に広がった日本語の経済新聞です。敏雄は23年間、出版業界のパイオニアとして会社の舵を取りました。
USジャパンビジネスニュース社をリタイア後、敏雄はコンピューターの使い方に没頭し、ソーシャルメディア(例えば Mixi や Facebook )を駆使して世界中の友人とコミュニケーションをとっていました。また敏雄は、家庭菜園も楽しんでおり、庭で野菜を育てては、家族やモンテベロ市の自宅を訪れた友人に特製の「野菜ジュース」を振る舞っておりました。そして友人達と、毎週水曜に「水曜会」というランチ会を楽しみ、モンテベロ市のゴルフコースでゴルフをしたり、日々の情報交換を楽しんでいました。そのおかげで敏雄は、健康な身体と精神状態を保つ事が出来ていました。

また敏雄は三人の孫、ライアン、ジェイレーン、カイリーとよく一緒に湯船に浸かり会話を楽しんでいました。しかし、2016年7月に妻 圭子が突然の死に見舞われた後は、深い悲しみに打ちひしがれ、たびたび妻の元へ自らも早く行きたいと願うようになりました。そして2020年11月1日、健康状態の悪化により、穏やかにそして眠る様に妻の元へ旅立ちました。

私たち家族は、父 敏雄が英語も儘ならないまま、日本人移民としてアメリカへ移り住み、家族への思いやりのあるサポートとともに、他の多くの日本人移民がアメリカで成功を収めたり、より良い生活環境を手に入れるためのサポートをし続けた、その功績を誇りに思います。私たちは父と一緒にいることで、彼の傾倒や献身的な姿勢を学びました。そして彼の教えである「自分が本当に情熱を持てるものに対して常にベストを尽くす」という言葉を決して忘れません。これからの日々も父を敬い、常に彼の教えを胸に生きていきたいと思います。

お父さん、ありがとう。そして安らかに。

息子 敏樹(Todd)、娘 鹿野子(Kathy)

追伸 父のビジネス史については、このウェブサイトの写真アルバムにある記事をご覧ください。

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Our father, Toshio Mitsuishi, was a very hard working and respected businessman in the publishing world. He grew up during the tough times of the World War in Japan. While working in Tokyo, he met our mother, Keiko, who was very devoted to her husband and supported all his endeavors. In 1970, his work took him to Los Angeles, California but eventually he decided that he wanted to stay in the U.S. and started U.S. Japan Business News in 1975, the first Japanese language nationwide newspaper in the U.S. which he operated successfully for 23 years as a pioneer in the publishing industry.

After his retirement, he dedicated himself to learning how to use the computer and use social media sites such as Mixi and Facebook to stay in touch with his friends around the world. He also enjoyed his vegetable garden and would make "yasai juice" every morning for family or guests staying at his home in Montebello, California. He also helped found "Suiyoukai" with his friends and they would meet every Wednesday at Montebello Golf Course for lunch and a round of golf which kept him sharp in body and mind.

In July, 2016, an unfortunate health issue took his wife Keiko from this world and for the following years, he had much sorrow in his heart from this loss. He wished often to reunite with our mother and due to his own health complications, he passed away peacefully in his sleep on November 1, 2020 to rejoin our mother.

We are very grateful to our father for everything he had done to support our family in a very tough environment of coming to the U.S. as an immigrant with no English skills yet was able to create a successful business which helped and launched the careers and supported the livelihood of many other Japanese immigrants here in the U.S. We learned about his commitment and dedication just being around him and remember his words of advice to always do the best you can in what you are really passionate about. And to this day, we want to honor him by living by those words.

Thank You and Rest In Peace Papa,

Toshiki (Todd) and Kanoko (Kathy)
報告

遅ればせながら謹んで三石様のご冥福をお祈り申し上げます。

窪田直子さんが2021年7月8日に投稿
 本日スマホで何気なく三石様のお名前検索し、初めて訃報を知りました。本日は、わが家の亡き母の存命でしたら89歳の誕生日でした。
 三石様ご夫妻と初めてお目にかかったのは、その母と小学一年生の娘と母子3代で参加した2000年3月中国江南地方のツアーでした。
 その折、小学一年生の娘と三石様が交換した名刺がご縁で、習志野市の方の住所に旅行記を送ってくださった三石様でした。
 その後2004年8月にアナハイムのディズニーランドホテルまで三石様がお迎えに来てくださり、モンテベロのお宅に小学6年生の娘と二人、ホームステイさせていただきました。
ガラスの教会にも連れて行ってくださったのでした。
まだ赤ちゃんのライアン君とお嬢様にもお目にかかりました。
 それから2005年秋にダラスから関西空港へアメリカン航空の就航記念で来日され、四国・今治の拙宅に知念様とお二人でステイしてくださったのでした。
mixiを紹介してくださったのも、三石様でした。mixiでご家族のお写真や日記拝見させていただいておりました。
 時は流れ、わが家の両親も彼岸の人となりましたが、小学一年生だった娘は昨日七夕入籍!三石様からは理系男子がお勧めと言われておりましたが、大学院まで大阪大学出身の研究職の理系男子!
 ご縁あって彼の実家も京都なんです。
 コロナ禍でガラスの教会どころかお式も披露宴も未定ですが、千葉のタワマンで新生活スタートいたしました。
 娘にも三石様の訃報を本日知らせましたが、三石様ご夫妻のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
     合掌
   2021年7月8日