承継
この想いでサイトは、 有馬 正高先生の思い出を語り合い、先生を偲ぶために作成されました。
有馬正高先生追悼文集の発行が計画されています。以下に発行の呼びかけ人からのメッセージを貼り付けますので、投稿いただける方は原稿をお寄せください。
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2022年12月12日の有馬正髙先生のご逝去を悼み、ご関係の皆様それぞれの有馬先生との思い出や先生からの教えをまとめて、有馬正髙先生追悼記念文集として発行することを考えております。本記念文集は、日本の小児神経学分野、発達障害医療や福祉の領域をリードして下さった、偉大な先達に対する感謝の言葉を分かち合うものとして、故有馬先生に捧げると共に後世に残したいと考えます。そこで、皆様からの御原稿を幅広く集めさせていただきたいと存じます。文集の最終的な発行形式は今のところ未定で、印刷物、デジタルファイルをCDに収録、ウェブからのダウンロード方式等を考えております。皆様方におかれましてはお忙しいところ大変恐縮ですが、下記要領にて原稿をご投稿下さいますよう、お願い申し上げます。
●形式:原稿はワードファイルで作成をお願いします。
●宛先: [email protected] あて、添付書類でお送りください。
●要領:原稿には、タイトルと有馬先生とのご関係を含めて作成下さい。ご所属、お名前、E-mailアドレス(連絡先電話番号)もお入れください。本文は2,000字まで、そしてお写真やイラストの添付は原則1枚で、お願いします。(E-mailアドレス、連絡先電話番号などの個人情報は、追悼文集本体には掲載いたしません。)
●〆切り:2023年8月31日(木)
ご不明点などございましたら、上記アドレスまでお問い合わせ下さいませ。多くの方々のご執筆をお待ちしております。ご協力のほど何卒よろしくお願いします。
有馬正髙先生追悼記念文集 作成呼びかけ人:東京都立東部療育センター          加我牧子
国立精神・神経医療研究センター病院 中川栄二
 鳥取県立鳥取療育センター            稲垣真澄

このメッセージは、 2024年12月5日に、曽根翠さんが投稿
もうじき有馬先生が鬼籍に入られて2年です。このサイトはこれまで重症心身障害学会で訪問・投稿する方に制限を掛けていましたが、今は公開しています。有馬正高先生にご縁のある方、是非ご訪問・ご投稿をお願い致します。ご家族にも見ていただけるようにしています。
このメッセージは、 2024年3月5日に、曽根翠さんが投稿
3月3日は有馬先生のお誕生日でした。東京都立東大和療育センター、よつぎ療育園、東京都立東部療育センターの3施設で働く医師とOB・OGで有馬先生を偲ぶ会を開催しました。有馬先生に献杯をし、有馬先生の御遺影、御息女と御夫君の前で、全員が先生との想い出や先生への思いを語ることができました。コロナ禍のため遅くなってしまいましたが、明るく和やかな会を開くことができ、とてもうれしく思いました。参加された皆様、お手伝いくださった方々に感謝致します。
このメッセージは、 2023年12月12日に、曽根翠さんが投稿
今日は有馬正高先生のご命日です。
この1年間、小児神経学会で追悼シンポジウムが開催され、日本重症心身障害学会でも追悼シンポジウムが開催されました。それぞれのお立場から有馬先生の思い出が語られ、どちらもとても良い会だったと思います。
さて、私たち残された者たちは有馬先生のご意志を継いで障害児・者の幸福のため努力しなければなりません。ご命日に、自分はこの1年間何ができたのか、これから何をしようか、を考えました。重症心身障害学会では、これから沢山の委員会を作り、重症心身障害児・者のために必要な研究・活動を行うことになりました。学会の理念を具体的にどう具現化するのか、まだ混沌としていますが、「もし有馬先生がいらっしゃったら何とおっしゃるか?」と考えながら進みたいと思います。
合掌
このメッセージは、 2023年9月11日に、加我牧子さんが投稿
有馬正髙先生のご逝去に際し、謹んで哀悼の意を表します

2022年12月12日有馬先生が亡くなられて早9か月になりますが、有馬先生の存在感はむしろ日に日に増しているようにも思えます。先生の御命日から2か月後の2023年2月16日、重症心身障害児(者)を守る会(以下「守る会)」の北浦雅子会長もお亡くなりになり、この世界の大きな変換点を迎えているように思います。
有馬先生は戦後日本の小児神経学を創立、発展させ、育て今日の隆盛への道を開いた巨人のお一人ですが、この領域で同じように偉大なキャリアを残された先生方がそれほど深くは立ち入られなかったように見える障害児医学、医療、特に知的障害と重症心身障害の領域に、有馬先生は実に多大なご業績とご足跡を残されました。
特別な悪意がない人でも「税金を払わない人には税金は使えません。」というのが常識だった時代に、小林提樹先生のご指導、ご支援の下で「障害の重い自分の子どもたちだけでなく、すべての子どもたちが幸せに生きられるよう、親どおし意見の違いがあっても、子供たちのためには争うことなく自らを律しつつ行動しましょう」という高い志を掲げて守る会を結成し、行動してこられた守る会創立者と志をつないでいる方々の理念と行動に深い敬意を表します。その目的のために身を削りつつ、文字通り、血のにじむような努力を続けてこられた先達のおかけで、現在は重症心身障害児(者)の福祉、支援は世界に類のないレベルに達しています。またこの領域には優秀な人材が多数関わっており、世界では考えられないほどの高いレベルの医学医療が実践されています。
国立療養所に重症心身障害児病棟ができたことをきっかけに、重症心身障害児者のかかりやすい肺炎や消化器疾患などの病気やその対策、治療法の研究、死亡原因の究明と対策、日々の看護介護の最適な方法、言葉のない子どもたちの意思を理解する手段などの方法を討議、研究し、病棟職員相互の経験の交流、お互いの切磋琢磨、知恵の交換などによって、日本の重症心身障害児者のくらしがどれほど向上したかは計り知れないものがあります。そのため関係者相互の研究会、国立療養所、公立私立重症心身障害児者施設の研究会、厚生労働省その他の研究プロジェクトの提案、実行、バックアップなどを陰に日なたに先導され、研究を支援され、継続できるシステムを有馬先生は整えてこられました。
現在でも、もちろん重症心身障害児(者)のご家族のご負担は大きいものの、ご自分たちが悲壮な思いで社会と戦わなくとも、公的制度の担当者から福祉の手段が提示され、提供されるようになりました。この状態を維持するためには、日本が平和で、経済が維持できることが必要であり、この状態が継続できるよう祈りつつ、先人の行動に感謝し、それぞれに自分の立場と能力のブラッシュアップについて地道な努力が必要なことを意識している必要性を強く感じています。
重症心身障害児者の臨床と研究はもちろん、制度を支える規範の確立にご貢献くださった有馬先生に感謝いたします。合掌  加我牧子
このメッセージは、 2023年7月2日に、曽根翠さんが投稿
私の有馬正高語録2

「では、試験を始めましょうか。ここを使って下さい。」

これは言葉と言うよりそのときのシチュエーションに驚きました。
私が国立精神・神経医療研究センターのレジデント試験を受けに行ったときの言葉です。受験生は私一人、試験官は有馬先生、場所は疾病研究2部の部長の机でした。私が伺ったとき机の上は本やら書類やらが堆く積まれていて、有馬先生は、この言葉をかけつつその本やら書類やらをどけて試験用紙と問題がおけるくらいのスペースを作って下さいました。
驚きつつも、その机の散らかり方に妙な親近感を覚えました。
このメッセージは、 2023年7月2日に、曽根翠さんが投稿
私の有馬正高語録1
私は他の女医さんから羨ましがられるほど長い期間を有馬先生と過ごさせていただきました。その中で心に残っている言葉を想い出と共に皆様と共有させていただきたいと思います。
下に書いたのは、私にとって一番心に残っている言葉です。

「男性の医師はある年齢になると皆元気が無くなりますが、女性の医師は何歳になっても元気に仕事をされます。だから今焦って仕事をする必要はありません。これからの1年のお子さんにとっての重要さとあなたのキャリアにとっての重要さをよく比べて判断して下さい。」

これは、私が国立精神・神経医療研究センターでの2年間の研修の終了間際に、夫のみ岐阜大学に戻ってもらってもう一年研修を続けるか、夫と一緒に岐阜大学に戻るかで迷っていたときに有馬先生が言われた言葉です。この言葉をいただいて、夫と岐阜に戻り、子どもたちが父親と過ごす時間を奪わない道を選びました。
合掌
このメッセージは、 2023年4月19日に、栗原まなさんが投稿
30歳を過ぎたころ、子育てをしながら、仕事をしていた時のことです。なかなか自分の仕事の目標を見出せなかった最中だったのですが、神奈川こども病院でばたばたと毎日を過ごしていたある日、有馬先生が講演にいらしてくださいました。講演後の懇親会で先生とゆっくりお話をする機会があり、先生から直接アドバイスをいただきました。「焦ることなく、自分のやりたい仕事を続けていれば、自ずと目標を見つけることができますよ」とおっしゃった先生のお顔が忘れられません。お言葉のとおり、焦らずに仕事を続けることができ、自分の目標を見出すことができました。先生には心から感謝の気持ちを伝えたいと思っています。心からご冥福をお祈りいたします。   

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2024年12月5日に、曽根翠さんが投稿
もうじき有馬先生が鬼籍に入られて2年です。このサイトはこれまで重症心身障害学会で訪問・投稿する方に制限を掛けていましたが、今は公開しています。有馬正高先生にご縁のある方、是非ご訪問・ご投稿をお願い致します。ご家族にも見ていただけるようにしています。
このメッセージは、 2024年3月5日に、曽根翠さんが投稿
3月3日は有馬先生のお誕生日でした。東京都立東大和療育センター、よつぎ療育園、東京都立東部療育センターの3施設で働く医師とOB・OGで有馬先生を偲ぶ会を開催しました。有馬先生に献杯をし、有馬先生の御遺影、御息女と御夫君の前で、全員が先生との想い出や先生への思いを語ることができました。コロナ禍のため遅くなってしまいましたが、明るく和やかな会を開くことができ、とてもうれしく思いました。参加された皆様、お手伝いくださった方々に感謝致します。
このメッセージは、 2023年12月12日に、曽根翠さんが投稿
今日は有馬正高先生のご命日です。
この1年間、小児神経学会で追悼シンポジウムが開催され、日本重症心身障害学会でも追悼シンポジウムが開催されました。それぞれのお立場から有馬先生の思い出が語られ、どちらもとても良い会だったと思います。
さて、私たち残された者たちは有馬先生のご意志を継いで障害児・者の幸福のため努力しなければなりません。ご命日に、自分はこの1年間何ができたのか、これから何をしようか、を考えました。重症心身障害学会では、これから沢山の委員会を作り、重症心身障害児・者のために必要な研究・活動を行うことになりました。学会の理念を具体的にどう具現化するのか、まだ混沌としていますが、「もし有馬先生がいらっしゃったら何とおっしゃるか?」と考えながら進みたいと思います。
合掌
軌跡

略歴~出生から大学卒業まで

昭和4年3月2日 鹿児島県鹿児島市にて出生
昭和17年(13歳) 神奈川県立湘南中学校に入学
昭和20年(16歳) 海軍兵学校予科(長崎県針尾島)入学するも、8月に海軍兵学校予科解散
        鹿児島県伊集院町に帰郷、県立第二中学校3年生に編入
昭和21年(17歳) 鹿児島県立第二中学校を卒業
        旧制第七高等学校理科乙類ー医学系に入学
昭和24年(20歳) 旧制第七高等学校理科乙類ー医学系を卒業
        東京大学医学部医学科入学
昭和28年(24歳) 東京大学医学部医学科卒業

略歴~大学卒業から鳥取大学医学部教授就任まで

昭和28年(24歳) 東京大が宇医学部医学科卒業し、東京大学医学部附属病院にてインターン
昭和29年(25歳) 東京大学医学部附属病院小児科入局、医師免許取得
        3ヶ月間東京~ニューヨーク航路の船医として勤務
昭和31年(27歳) 東京大学附属病院小児科助手就任
昭和33年(29歳) 木原道子さんと結婚
昭和34年(30歳) 自衛隊中央病院小児科に赴任し伊勢湾台風の災害救助に参加
昭和35年(31歳) 東京大学附属病院小児科に戻る。医学博士学位記授与
昭和36年(31歳) 東京大学医学部講師就任。小児神経学研究会設立に参加。
昭和38年(34歳) 文部省重症心身障害研究班参加
昭和39年(34歳) 東邦大学医学部助教授就任。日本神経学会評議員(平成6年6月まで)
昭和43年(39歳) 日本小児神経学会評議員(昭和48年4月まで)
        東京都立府中療育センター小児科医長(非常勤)
昭和45年(41歳) 東邦大学医学部助教授退職
        鳥取大学医学部付属脳幹性疾患研究施設教授就任
        (同附属病院脳神経小児科長兼務)


略歴~鳥取大学教授から日本重症心身障害学会理事長就任まで

昭和45年(41歳) 鳥取大学医学部付属脳幹性疾患研究施設教授就任
        (同附属病院脳神経小児科長兼務)
昭和49年(45歳) 広島大学医学部講師兼務(昭和50年3月まで)
        神戸大学医学部大学院医学研究科兼務(~昭和50年、昭和58年~昭和63年)
        第16回日本小児神経学会学術集会会長(米子市)
昭和51年(47歳) 日本小児科学会評議員(昭和53年まで)、日本小児神経学会理事(平成6年まで)
昭和53年(48歳) 鳥取大学医学部付属脳幹性疾患研究施設教授退職
        国立武蔵療養所神経センター疾病研究第二部長就任
昭和56年(52歳) 鳥取大学医学部講師兼務(~昭和57年、昭和58年~昭和61年)
昭和59年(55歳) 国際知的障害研究協会(IASSIDD)理事
昭和60年(55歳) 日本発達障害学会理事、千葉大学教育学部講師兼務(~昭和61年、平成元年)
        国立武蔵療養所副院長兼務
昭和61年(57歳) 国立精神・神経センター武蔵病院副院長
平成2年(60歳)   国立精神・神経センター国府台病院院長 兼 同付属看護学校校長
平成3年(61歳)   日本重症心身障害学会理事長就任

報告

有馬先生のご紹介と記念講演

曽根翠さんが2023年3月31日に投稿
第一びわこ学園園長 口分田政夫

新年への希望

曽根翠さんが2023年3月31日に投稿
東部療育センター平成21年1月号院長挨拶記事です

体験を発展への礎に

曽根翠さんが2023年3月31日に投稿
東部療育センター平成22年1月号院長挨拶記事です