承継
軌跡

略歴~出生から大学卒業まで

昭和4年3月2日 鹿児島県鹿児島市にて出生
昭和17年(13歳) 神奈川県立湘南中学校に入学
昭和20年(16歳) 海軍兵学校予科(長崎県針尾島)入学するも、8月に海軍兵学校予科解散
        鹿児島県伊集院町に帰郷、県立第二中学校3年生に編入
昭和21年(17歳) 鹿児島県立第二中学校を卒業
        旧制第七高等学校理科乙類ー医学系に入学
昭和24年(20歳) 旧制第七高等学校理科乙類ー医学系を卒業
        東京大学医学部医学科入学
昭和28年(24歳) 東京大学医学部医学科卒業

略歴~大学卒業から鳥取大学医学部教授就任まで

昭和28年(24歳) 東京大が宇医学部医学科卒業し、東京大学医学部附属病院にてインターン
昭和29年(25歳) 東京大学医学部附属病院小児科入局、医師免許取得
        3ヶ月間東京~ニューヨーク航路の船医として勤務
昭和31年(27歳) 東京大学附属病院小児科助手就任
昭和33年(29歳) 木原道子さんと結婚
昭和34年(30歳) 自衛隊中央病院小児科に赴任し伊勢湾台風の災害救助に参加
昭和35年(31歳) 東京大学附属病院小児科に戻る。医学博士学位記授与
昭和36年(31歳) 東京大学医学部講師就任。小児神経学研究会設立に参加。
昭和38年(34歳) 文部省重症心身障害研究班参加
昭和39年(34歳) 東邦大学医学部助教授就任。日本神経学会評議員(平成6年6月まで)
昭和43年(39歳) 日本小児神経学会評議員(昭和48年4月まで)
        東京都立府中療育センター小児科医長(非常勤)
昭和45年(41歳) 東邦大学医学部助教授退職
        鳥取大学医学部付属脳幹性疾患研究施設教授就任
        (同附属病院脳神経小児科長兼務)


略歴~鳥取大学教授から日本重症心身障害学会理事長就任まで

昭和45年(41歳) 鳥取大学医学部付属脳幹性疾患研究施設教授就任
        (同附属病院脳神経小児科長兼務)
昭和49年(45歳) 広島大学医学部講師兼務(昭和50年3月まで)
        神戸大学医学部大学院医学研究科兼務(~昭和50年、昭和58年~昭和63年)
        第16回日本小児神経学会学術集会会長(米子市)
昭和51年(47歳) 日本小児科学会評議員(昭和53年まで)、日本小児神経学会理事(平成6年まで)
昭和53年(48歳) 鳥取大学医学部付属脳幹性疾患研究施設教授退職
        国立武蔵療養所神経センター疾病研究第二部長就任
昭和56年(52歳) 鳥取大学医学部講師兼務(~昭和57年、昭和58年~昭和61年)
昭和59年(55歳) 国際知的障害研究協会(IASSIDD)理事
昭和60年(55歳) 日本発達障害学会理事、千葉大学教育学部講師兼務(~昭和61年、平成元年)
        国立武蔵療養所副院長兼務
昭和61年(57歳) 国立精神・神経センター武蔵病院副院長
平成2年(60歳)   国立精神・神経センター国府台病院院長 兼 同付属看護学校校長
平成3年(61歳)   日本重症心身障害学会理事長就任

略歴~日本重症心身障害学会理事長就任から御逝去まで

平成3年(61歳) 日本重症心身障害学会理事長就任
平成4年(62歳) 国立精神・神経センター武蔵病院院長就任
平成5年(64歳) 日本微量元素学会理事(平成8年まで)
平成6年(65歳) 国立精神・神経センター武蔵病院院長定年退職
        (社福法)鶴風会東京小児療育病院・みどり愛育園施設長(同年9月まで)
         東京都立東大和療育センター院長(10月から)
        (社福法)全国重症心身障害児(者)を守る会副会長(10月~平成16年まで)
         東邦大学医学部客員教授
平成7年(66歳) (社団)日本知的障害福祉連盟会長
平成14年(73歳) 勲三等瑞宝章受章
平成15年(74歳) 第16回Asian Conference on Mental Retardation学術集会会長(つくば市)
平成16年(75歳) 東京都立東大和療育センター院長退
        (社福法)全国重症心身障害児(者)を守る会・東部療育センター開設準備室長
平成17年(76歳) 東京都立東部療育センター院長就任
平成26年(85歳) 東京都立東部療育センター院長退職
        (社福法)全国重症心身障害児(者)を守る会理事長就任
平成30年(89歳) 日本重症心身障害学会理事長退任
        (社福法)全国重症心身障害児(者)を守る会理事長退任
令和4年12月12日(93歳) 御逝去