もうじき有馬先生が鬼籍に入られて2年です。このサイトはこれまで重症心身障害学会で訪問・投稿する方に制限を掛けていましたが、今は公開しています。有馬正高先生にご縁のある方、是非ご訪問・ご投稿をお願い致します。ご家族にも見ていただけるようにしています。
3月3日は有馬先生のお誕生日でした。東京都立東大和療育センター、よつぎ療育園、東京都立東部療育センターの3施設で働く医師とOB・OGで有馬先生を偲ぶ会を開催しました。有馬先生に献杯をし、有馬先生の御遺影、御息女と御夫君の前で、全員が先生との想い出や先生への思いを語ることができました。コロナ禍のため遅くなってしまいましたが、明るく和やかな会を開くことができ、とてもうれしく思いました。参加された皆様、お手伝いくださった方々に感謝致します。
今日は有馬正高先生のご命日です。
この1年間、小児神経学会で追悼シンポジウムが開催され、日本重症心身障害学会でも追悼シンポジウムが開催されました。それぞれのお立場から有馬先生の思い出が語られ、どちらもとても良い会だったと思います。
さて、私たち残された者たちは有馬先生のご意志を継いで障害児・者の幸福のため努力しなければなりません。ご命日に、自分はこの1年間何ができたのか、これから何をしようか、を考えました。重症心身障害学会では、これから沢山の委員会を作り、重症心身障害児・者のために必要な研究・活動を行うことになりました。学会の理念を具体的にどう具現化するのか、まだ混沌としていますが、「もし有馬先生がいらっしゃったら何とおっしゃるか?」と考えながら進みたいと思います。
合掌
この1年間、小児神経学会で追悼シンポジウムが開催され、日本重症心身障害学会でも追悼シンポジウムが開催されました。それぞれのお立場から有馬先生の思い出が語られ、どちらもとても良い会だったと思います。
さて、私たち残された者たちは有馬先生のご意志を継いで障害児・者の幸福のため努力しなければなりません。ご命日に、自分はこの1年間何ができたのか、これから何をしようか、を考えました。重症心身障害学会では、これから沢山の委員会を作り、重症心身障害児・者のために必要な研究・活動を行うことになりました。学会の理念を具体的にどう具現化するのか、まだ混沌としていますが、「もし有馬先生がいらっしゃったら何とおっしゃるか?」と考えながら進みたいと思います。
合掌
有馬正髙先生のご逝去に際し、謹んで哀悼の意を表します
2022年12月12日有馬先生が亡くなられて早9か月になりますが、有馬先生の存在感はむしろ日に日に増しているようにも思えます。先生の御命日から2か月後の2023年2月16日、重症心身障害児(者)を守る会(以下「守る会)」の北浦雅子会長もお亡くなりになり、この世界の大きな変換点を迎えているように思います。
有馬先生は戦後日本の小児神経学を創立、発展させ、育て今日の隆盛への道を開いた巨人のお一人ですが、この領域で同じように偉大なキャリアを残された先生方がそれほど深くは立ち入られなかったように見える障害児医学、医療、特に知的障害と重症心身障害の領域に、有馬先生は実に多大なご業績とご足跡を残されました。
特別な悪意がない人でも「税金を払わない人には税金は使えません。」というのが常識だった時代に、小林提樹先生のご指導、ご支援の下で「障害の重い自分の子どもたちだけでなく、すべての子どもたちが幸せに生きられるよう、親どおし意見の違いがあっても、子供たちのためには争うことなく自らを律しつつ行動しましょう」という高い志を掲げて守る会を結成し、行動してこられた守る会創立者と志をつないでいる方々の理念と行動に深い敬意を表します。その目的のために身を削りつつ、文字通り、血のにじむような努力を続けてこられた先達のおかけで、現在は重症心身障害児(者)の福祉、支援は世界に類のないレベルに達しています。またこの領域には優秀な人材が多数関わっており、世界では考えられないほどの高いレベルの医学医療が実践されています。
国立療養所に重症心身障害児病棟ができたことをきっかけに、重症心身障害児者のかかりやすい肺炎や消化器疾患などの病気やその対策、治療法の研究、死亡原因の究明と対策、日々の看護介護の最適な方法、言葉のない子どもたちの意思を理解する手段などの方法を討議、研究し、病棟職員相互の経験の交流、お互いの切磋琢磨、知恵の交換などによって、日本の重症心身障害児者のくらしがどれほど向上したかは計り知れないものがあります。そのため関係者相互の研究会、国立療養所、公立私立重症心身障害児者施設の研究会、厚生労働省その他の研究プロジェクトの提案、実行、バックアップなどを陰に日なたに先導され、研究を支援され、継続できるシステムを有馬先生は整えてこられました。
現在でも、もちろん重症心身障害児(者)のご家族のご負担は大きいものの、ご自分たちが悲壮な思いで社会と戦わなくとも、公的制度の担当者から福祉の手段が提示され、提供されるようになりました。この状態を維持するためには、日本が平和で、経済が維持できることが必要であり、この状態が継続できるよう祈りつつ、先人の行動に感謝し、それぞれに自分の立場と能力のブラッシュアップについて地道な努力が必要なことを意識している必要性を強く感じています。
重症心身障害児者の臨床と研究はもちろん、制度を支える規範の確立にご貢献くださった有馬先生に感謝いたします。合掌 加我牧子
2022年12月12日有馬先生が亡くなられて早9か月になりますが、有馬先生の存在感はむしろ日に日に増しているようにも思えます。先生の御命日から2か月後の2023年2月16日、重症心身障害児(者)を守る会(以下「守る会)」の北浦雅子会長もお亡くなりになり、この世界の大きな変換点を迎えているように思います。
有馬先生は戦後日本の小児神経学を創立、発展させ、育て今日の隆盛への道を開いた巨人のお一人ですが、この領域で同じように偉大なキャリアを残された先生方がそれほど深くは立ち入られなかったように見える障害児医学、医療、特に知的障害と重症心身障害の領域に、有馬先生は実に多大なご業績とご足跡を残されました。
特別な悪意がない人でも「税金を払わない人には税金は使えません。」というのが常識だった時代に、小林提樹先生のご指導、ご支援の下で「障害の重い自分の子どもたちだけでなく、すべての子どもたちが幸せに生きられるよう、親どおし意見の違いがあっても、子供たちのためには争うことなく自らを律しつつ行動しましょう」という高い志を掲げて守る会を結成し、行動してこられた守る会創立者と志をつないでいる方々の理念と行動に深い敬意を表します。その目的のために身を削りつつ、文字通り、血のにじむような努力を続けてこられた先達のおかけで、現在は重症心身障害児(者)の福祉、支援は世界に類のないレベルに達しています。またこの領域には優秀な人材が多数関わっており、世界では考えられないほどの高いレベルの医学医療が実践されています。
国立療養所に重症心身障害児病棟ができたことをきっかけに、重症心身障害児者のかかりやすい肺炎や消化器疾患などの病気やその対策、治療法の研究、死亡原因の究明と対策、日々の看護介護の最適な方法、言葉のない子どもたちの意思を理解する手段などの方法を討議、研究し、病棟職員相互の経験の交流、お互いの切磋琢磨、知恵の交換などによって、日本の重症心身障害児者のくらしがどれほど向上したかは計り知れないものがあります。そのため関係者相互の研究会、国立療養所、公立私立重症心身障害児者施設の研究会、厚生労働省その他の研究プロジェクトの提案、実行、バックアップなどを陰に日なたに先導され、研究を支援され、継続できるシステムを有馬先生は整えてこられました。
現在でも、もちろん重症心身障害児(者)のご家族のご負担は大きいものの、ご自分たちが悲壮な思いで社会と戦わなくとも、公的制度の担当者から福祉の手段が提示され、提供されるようになりました。この状態を維持するためには、日本が平和で、経済が維持できることが必要であり、この状態が継続できるよう祈りつつ、先人の行動に感謝し、それぞれに自分の立場と能力のブラッシュアップについて地道な努力が必要なことを意識している必要性を強く感じています。
重症心身障害児者の臨床と研究はもちろん、制度を支える規範の確立にご貢献くださった有馬先生に感謝いたします。合掌 加我牧子
私の有馬正高語録2
「では、試験を始めましょうか。ここを使って下さい。」
これは言葉と言うよりそのときのシチュエーションに驚きました。
私が国立精神・神経医療研究センターのレジデント試験を受けに行ったときの言葉です。受験生は私一人、試験官は有馬先生、場所は疾病研究2部の部長の机でした。私が伺ったとき机の上は本やら書類やらが堆く積まれていて、有馬先生は、この言葉をかけつつその本やら書類やらをどけて試験用紙と問題がおけるくらいのスペースを作って下さいました。
驚きつつも、その机の散らかり方に妙な親近感を覚えました。
「では、試験を始めましょうか。ここを使って下さい。」
これは言葉と言うよりそのときのシチュエーションに驚きました。
私が国立精神・神経医療研究センターのレジデント試験を受けに行ったときの言葉です。受験生は私一人、試験官は有馬先生、場所は疾病研究2部の部長の机でした。私が伺ったとき机の上は本やら書類やらが堆く積まれていて、有馬先生は、この言葉をかけつつその本やら書類やらをどけて試験用紙と問題がおけるくらいのスペースを作って下さいました。
驚きつつも、その机の散らかり方に妙な親近感を覚えました。
私の有馬正高語録1
私は他の女医さんから羨ましがられるほど長い期間を有馬先生と過ごさせていただきました。その中で心に残っている言葉を想い出と共に皆様と共有させていただきたいと思います。
下に書いたのは、私にとって一番心に残っている言葉です。
「男性の医師はある年齢になると皆元気が無くなりますが、女性の医師は何歳になっても元気に仕事をされます。だから今焦って仕事をする必要はありません。これからの1年のお子さんにとっての重要さとあなたのキャリアにとっての重要さをよく比べて判断して下さい。」
これは、私が国立精神・神経医療研究センターでの2年間の研修の終了間際に、夫のみ岐阜大学に戻ってもらってもう一年研修を続けるか、夫と一緒に岐阜大学に戻るかで迷っていたときに有馬先生が言われた言葉です。この言葉をいただいて、夫と岐阜に戻り、子どもたちが父親と過ごす時間を奪わない道を選びました。
合掌
私は他の女医さんから羨ましがられるほど長い期間を有馬先生と過ごさせていただきました。その中で心に残っている言葉を想い出と共に皆様と共有させていただきたいと思います。
下に書いたのは、私にとって一番心に残っている言葉です。
「男性の医師はある年齢になると皆元気が無くなりますが、女性の医師は何歳になっても元気に仕事をされます。だから今焦って仕事をする必要はありません。これからの1年のお子さんにとっての重要さとあなたのキャリアにとっての重要さをよく比べて判断して下さい。」
これは、私が国立精神・神経医療研究センターでの2年間の研修の終了間際に、夫のみ岐阜大学に戻ってもらってもう一年研修を続けるか、夫と一緒に岐阜大学に戻るかで迷っていたときに有馬先生が言われた言葉です。この言葉をいただいて、夫と岐阜に戻り、子どもたちが父親と過ごす時間を奪わない道を選びました。
合掌
30歳を過ぎたころ、子育てをしながら、仕事をしていた時のことです。なかなか自分の仕事の目標を見出せなかった最中だったのですが、神奈川こども病院でばたばたと毎日を過ごしていたある日、有馬先生が講演にいらしてくださいました。講演後の懇親会で先生とゆっくりお話をする機会があり、先生から直接アドバイスをいただきました。「焦ることなく、自分のやりたい仕事を続けていれば、自ずと目標を見つけることができますよ」とおっしゃった先生のお顔が忘れられません。お言葉のとおり、焦らずに仕事を続けることができ、自分の目標を見出すことができました。先生には心から感謝の気持ちを伝えたいと思っています。心からご冥福をお祈りいたします。